1575年5月。
三浦貞広は浦上、宇喜多との戦いに勝利。三浦家は美作高田城からはじまり、備中、備前にまで勢力を広げた。
次に狙うのは中国地方の覇者・毛利家。戦国時代終盤において、出遅れた三浦家の力は果たしてこの強豪国に通用するのだろうか。
諸行無常、万物流転。滅せぬもののあるべきか。
1575年5月。
三浦貞広は浦上、宇喜多との戦いに勝利。三浦家は美作高田城からはじまり、備中、備前にまで勢力を広げた。
次に狙うのは中国地方の覇者・毛利家。戦国時代終盤において、出遅れた三浦家の力は果たしてこの強豪国に通用するのだろうか。
諸行無常、万物流転。滅せぬもののあるべきか。
以下は単なるフィクション小芝居なので、読み飛ばしても問題ありません
1577年4月、三浦貞広は能登守を称することになりました。
この月、大友宗麟の命をうけた立花道雪が三浦領・十河城へと侵攻。高橋紹運とともに兵をすすめます。四国での生き残りをかけて、守りを捨てて讃岐の覇権を奪いにかかってきたのです。