【三浦貞広の野望3】その1 知将、三浦貞広の始動

☆未読の方は、まずはプロローグを読んだほうがいいかもしれません。結構行き当たりばったりのプレイになります。

 

1575年5月。備前を手中におさめた三浦貞広は戦後処理に追われます。その中で“知将”になりました。


※宇喜多直家から受け継ぎ“知将”となった。効果は挟撃の強化。天下は目指していない。

 

さて現在、三浦家は毛利家と同盟関係、織田家とは婚姻同盟中です。

本プレイでは織田家と三浦家との領地がとなり合ったら、毛利家との同盟は継続しないという方針です。

 

 

播磨・姫路城を織田家か三浦家が攻略すれば、領地が隣り合ったということになります。

現在はこんな感じです。


※播磨をおさめる赤松家は画像中央右にある青いアイコン。赤松家の兵力は8141。織田は17万の兵力なので、すぐに攻略されそう。

三浦家は毛利家と戦いになる前に、備えを万全にしなければなりません。城の改修、領地の拡大を急ぎます。

 

その前に、貞広は本拠・高田城をはなれ、天神山城に入城。


※あらたな居城となる天神山城。三浦家が所有する唯一の主城。

さらにその後、土佐・長宗我部家と交渉。長宗我部元親の娘・里姫をむかえます。両家は縁戚になり婚姻同盟が結ばれました。


※里姫(15歳)が輿入れ完了

 

 

 

さて現在、足利義昭による信長包囲網がしかれ、四国の三好家は反織田連合に加盟しています。

三好家の家中は、あまりまとまっていません。とくに香川之景、高原次利は城主ですが、領地に不満があって忠誠心は高くない。密談をすすめれば謀反をそそのかせます。

謀反が成功すれば、城主は城ごと寝返ります。戦わずして城を手にすることができるのです。さっそく彼らに密談をしかけました。


※天霧城は讃岐の城。城ごと寝返らせ、三好家の弱体化にかかる。三浦家はこうして織田家を支援するのだ。という名目で四国への領地拡大をねらう。

 


 

他、領地の開発など、とにかくやることは山積みです。三浦領内はあわただしい状況になっていました。

そこに敵襲がありました。

 

 

津山城の別所長治が南下。4300の兵を率いて両宮山城に侵攻してきたのです。


※またお前か。放置しておくといくらでも攻めてきそうだ。

すぐに石川久式(兵1700)に出陣を命令。西川城から出陣して、逆に別所長治の居城・津山城をおびやかしにかかります。

気がついた別所長治は引き返しました。

 

いずれ別所家は攻略したいところ。ただ石川久式隊の目的は陽動です。別所長治の帰城をみとどけて兵をひきかえしました。

しかし、別所長治はそのまま石川久式を追い、久世へと兵をすすめます。久世は三浦領・高田城と中間にある拠点です。

月初、ちょうど久世に陣所を建設。完成していました。

ひとまず陣所で別所長治を迎え撃つことにします。高田城から花房正幸(兵1100)が援軍として出陣。久世に向かいます。


※飛んで火に入る夏の虫とはこのことだ。陣所がどれだけの効果があるのかに期待。

三浦軍は戦闘能力が高くはないですが、陣所で戦えば別所長治とも互角に戦えるはずです。この久世で、別所兵は失われます。

そうなったら反撃にうつり、逆に津山城の攻略を狙います。

という皮算用をしているところに、次の報告がはいりました。

 

今度は備前に敵襲。

播磨の赤松家が動きはじめたのです。赤松家は井上之房(兵3900)、後藤又兵衛(兵2100)を出陣。三石城に侵攻してきました。


※猛将・後藤又兵衛の出撃に戦慄が走る。織田を完全無視した侵攻作戦。織田家は静観した。

 

 

彼らは武勇80以上の猛将です。このまま三石城への侵攻を許せば、かなりの被害がみこまれます。

ただ、三石城と赤松領の間には室津城があります。室津城は毛利家当主・毛利輝元の居城。これだけの兵が通過すれば、たぶん警戒の兵が出ます。ひとまず情勢を見守ります。

 

しばらくすると案の定、毛利家は出陣。備中高松城から清水宗治が室津城に向かいました。


※忠臣・清水宗治が毛利輝元のいる室津城へ。道を塞ぐものは全て破壊しながら突き進む様子。だがなぜ輝元はこんなところを居城にしているのだろうか……。

こちらはどうにかなりそうです。

 

 

 

すると久世から花房正幸壊滅の報告が。


※壊滅した花房正幸隊

状況をみると、こちらの被害2300に対して、別所長治の被害は1000でした。陣所に拠っても相手になりません。


※陣所の上なら互角に戦えると言ったな。あれは嘘だ。

 

石川久式は撤退。久世の陣所は無残に壊されました。別所長治はそれ以上進まず、その場にとどまりましたが、三浦軍は完全に敗北。津山城の攻略はまだ難しそうです。

武将の能力差は陣所ではひっくり返せませんでした。この結果をみると、毛利家との戦いに一抹の不安を覚えたのでした。

 


 

さて三石城。赤松軍・井上之房は毛利軍にはさまれ、壊滅は必至です。

それでも、後藤又兵衛はくぐりぬけ、三石城下まで侵攻してきました。

 

これをうけて三浦貞広は天神山城から出陣。さらに岡山城から牧良長が出陣します。

そして後藤又兵衛隊を挟撃。又兵衛は善戦しますが、3方から挟撃をしかけると耐えられず、壊滅しました。


※三石城での戦い。後藤又兵衛は挟撃を受けてもなお互角に戦っている。


※打ち破った!

 

こうして赤松軍の撃退に成功。しかしこの防衛で米を消費し、三浦家の米蔵には4000程度しか残りませんでした。

 


 

こうして各勢力からの侵攻をはねのけ、ようやく一息。7月の下旬となりました。

 

次は米が手に入る9月を待ち、津山城の攻略かというところに、

長船城代・中村則治が敵襲の報告をしてきました。総勢11000の敵が領内に接近中。


※やれやれ則治は本当に貧乏くじばっかりだぞい

ついでに下津井にも6000が襲来。

 

総勢1万6千にもなる大規模な侵攻です。攻め手は海の向こう。三好家でした。


※瀬戸内海を越えて本州上陸を目指す三好家。攻められる可能性を見ていなかった。「盲目の大将」香西佳清が下津井を脅かす。

 

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