カテゴリー別アーカイブ: 天下布武 三浦貞広

【三浦貞広の野望】プロローグ

1567年(永禄10年)――織田信長は美濃を攻略。天下布武の朱印を用い、天下統一を視野に入れはじめた。いっぽう中国地方では、毛利家が尼子家を滅亡に追い込み、強大な勢力となっていた。

同じころ。中国地方の山間、美作(みまさか)・高田城に、三つ引の旗が掲げられた。三浦貞久とその叔父・三浦貞盛は旧領回復に成功。三浦家が再興をはたしたのである。

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【三浦貞広の野望】その2

1567年8月、貞広は叔父・三浦貞盛を一門衆に任命。

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※一門衆に任命すると、親族同士で部隊を組んだときに能力があがる。他に忠誠にプラスの補正がかかり、プレイヤーの気分が盛り上がるという効果もある。譜代衆は任命できる武将がいなかった(功績不足のため)。

これにより、一門の結束が高まります。

 

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【三浦貞広の野望】その3 夏に狼煙の臭い立つ

1568年3月。

毛利家による鳥取城の攻略に続くように、播磨では浦上家・宇喜多直家が攻めていた室津城が落城。浦上軍が赤松家との野戦にかかる負担をすべて受け持ちましたが、この戦には毛利家の介入がありました。

そのため室津城は、遅れて包囲に参加した毛利家の勢力下におかれることとなります。

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※浦上家の出兵は、毛利家の援軍という扱いだったらしい。宇喜多直家も不服そうに眉をひそめているが、そう見せてすべて手の内かもしれない。

 

さらには瀬戸内海にある能島村上家の能島城も落城寸前。北九州への侵攻は失敗したものの、毛利家は影響圏をさらに拡大します。

この年は全国的に戦が勃発しました。毛利家にかぎらず、各地の大名家は小勢力を吸収して、徐々に力をつけていきました。

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