カテゴリー別アーカイブ: 信長誕生 三浦家

【三浦家の野望】その4 山間の攻防

1536年11月、山名祐豊による侵攻の報をうけた三浦家は、尼子陽動の兵を撤退することを決めました。これにより、対尼子の陽動作戦は一時中止になります。

陽動の兵がなくなったことで尼子経久が高田城にむけて動き出すかもしれませんが、そうなれば山名の兵と高田城下で鉢合わせになって、敵同士で争うことになるはずです。三浦家にとっては、かえって都合のよい展開になるかもしれません。

 

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※と、うまくいくこともないとは思うが。「これより帰城する」腰兵糧も残りわずかとなっていた。

 

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【三浦家の野望】その5 高田城の戦い

☆前回、この戦いを11月としていましたが、実際には12月でした。。(修正済み)

 

三浦貞久は美作・高田城に侵攻してきた山名軍を迎え撃つため、城門前に布陣しました。

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※いったん城から離れたのに、どうやって城門前に布陣したのかは謎。抜け道でも使ったのだろうか。

 

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【三浦家の野望】その6 矛先

1535年1月、高田城の戦いが終わり、三浦軍は帰城しました。戦いの中で、山名軍の先鋒をつとめていた行松正盛は三浦軍に捕縛され、捕虜になっていました。三浦家当主・三浦貞久は正盛を説得。

正盛は説得に応じて三浦家に仕えることになりました。

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※仕官の儀、謹んでお受けいたしまする。将の少ない三浦家にとって、貴重な人材。

 

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【三浦家の野望】その7 戦火連環

1535年5月、三浦家は羽衣石城を攻める裏で、四国の河野家に接近。2ヶ月の外交工作がみのり、両家の間には商人の行き来が始まりました。

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※どちらも大内家と同盟している関係で、姿勢は”関心”。信用が上がりやすいのだ。

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【三浦家の野望】その8

1535年7月下旬、高田城から出陣した行松正盛は羽衣石城に到着し、城の包囲をはじめました。そこに江尾衆が援軍にきて、包囲が完成します。

羽衣石城に篭もる兵の士気は少しずつ低下していますが、落城にはまだ時間がかかりそうです。

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※尼子家は八橋城を攻略寸前。正盛、緊張の中の包囲。それにしても羽衣石城も尼子家が帰ったと思ってほっとしていたら今度は三浦家に包囲されて災難である。

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