1536年11月、山名祐豊による侵攻の報をうけた三浦家は、尼子陽動の兵を撤退することを決めました。これにより、対尼子の陽動作戦は一時中止になります。
陽動の兵がなくなったことで尼子経久が高田城にむけて動き出すかもしれませんが、そうなれば山名の兵と高田城下で鉢合わせになって、敵同士で争うことになるはずです。三浦家にとっては、かえって都合のよい展開になるかもしれません。
※と、うまくいくこともないとは思うが。「これより帰城する」腰兵糧も残りわずかとなっていた。
さて、高田城にせまる山名軍への対策を考えなければなりませんが、その前に高田城を攻めていた尼子軍の残兵を追い返さなければなりません。三浦貞盛は、江尾衆の援軍とともに高田城下で会戦を始めました。
両軍が向き合うと、尼子軍・赤穴光清は江尾衆に向けて突撃。江尾衆は被害をうけてしまいます。
江尾衆はすぐさま『用心』を発動し、兵の減少をおさえることができました。しかし、尼子軍を撃退はできたものの、いくらか兵を減らされてしまいました。
翌12月、三浦貞久は山名との戦いにそなえて、虎倉衆に協力を要請しました。
※虎倉衆は、高田城の南東・虎倉にある寺社勢力。先月から懐柔工作をしていた。
しかし、援軍を送ってもらうにはいたりません。 来月も懐柔すれば援軍を期待できますが、その頃には戦いは終わっています。三浦家は、尼子との戦いに傷ついた江尾衆とともに山名軍を撃退するしかありません。
※援軍を送ってもらうには、支持率が70必要。残念ながら、わずかに2足りなかった。
同月、山名の軍勢が高田城近くにまで詰め寄ります。三浦貞久が自ら出陣して様子をうかがうと、山名軍の兵数は予想を上回るものでした。
※先鋒、行松正盛部隊の兵数1000の予想が実際には1400。後続の山名祐豊は、1700の兵をひきいていた。
三浦家は高田城での会戦を決めますが、山名軍を撃退するための作戦が2つあります。
- 防衛施設を利用して各個撃破を狙う
- 城下に誘い込み、『離間』による同士討ちを狙う
各個撃破は、それなりに兵が減りますが、撃退できる可能性が高い選択肢です。しかし、兵が減ると尼子軍に狙われる心配があります。
※前回の尼子国久と戦った時と同じような戦い方。この時代は鉄砲がないので、騎馬をけん制できない。突撃を受ける可能性がたかい。
いっぽう、『離間』による同士討ち作戦は、失敗すれば大きな被害をうけるものです。最悪の場合、防衛の兵を失い滅亡してしまいます。しかし成功した時の被害は、各個撃破よりはるかに少なくなるはずです。
※画像は「大崎義隆の野望 その17」の真田昌幸。同士討ちを使うのはそこで使って以来。しかもその時は失敗して敗北している。あまり使うことがないので、慣れていないのだ。
尼子家への陽動部隊が撤退した今、あまり兵を減らしてしまうと尼子軍が攻めてくる可能性もあります。そうなれば、滅亡の危険性は高まります。ここで勝負に出たほうが、かえって生存できる確率は高くなるかもしれません。
悩んだすえ、貞久は『離間』による敵の同士討ちを狙うことにしました。三浦軍は散開し、山名軍を高田城に誘い込みます。
※三浦軍1682VS山名軍3300。およそ倍の兵をひきいる山名軍に対しての、三浦家の命運をかけた戦いになるだろう。
霧のかかる高田城で、三浦家と山名家の戦いが幕をあけました。
下手な某大河ドラマよりずっと面白いです。
ドキドキワクワクハラハラします。
大変でしょうけど頑張ってください。
コメントありがとうございます! 書いている人です。
おぉ。。大河ドラマとは比較できない気もしますが、楽しんでいただいているようで幸いです!^^
勝手に打ち切りができないドラマとは違って、三浦家は滅亡して打ちきっても仕方ないので、それでハラハラするのかもしれませんね。
応援いただき、ありがとうございます! はげみになりましたmm
今作って一枚マップと上手く融合して、指揮官として采配をふるってる感をすごく感じられる良い作品ですよね
記事内の山名軍が高田城へ向かってくるときの山中の写真なんか最高です
と言うか、そんな視点に出来る事を今知りました(笑)
過去記事も拝見させて頂き、プレイの参考になる発見も多々ありました
これからも楽しみにしております
>忍城さん
コメントありがとうございます!
はい! 私も自分で撮ったこのSSを見て、あらためて良さを感じました。
グラフィックが良いと気分も盛り上がりますよね。ゲーム中ではなかなかこの視点を使うことはないですけども、やっぱり雰囲気が良いです。しかもサクサク動作なので、たまに拡大したり楽しんでいるのです。
過去記事まで読んでいただいてありがとうございます!
ただ、プレイ内容はバージョンが古いこともあるので、参考にするにはちょっとご注意ください。バージョンごとに仕様がけっこう変わっているようですので。。