1535年7月下旬、高田城から出陣した行松正盛は羽衣石城に到着し、城の包囲をはじめました。そこに江尾衆が援軍にきて、包囲が完成します。
羽衣石城に篭もる兵の士気は少しずつ低下していますが、落城にはまだ時間がかかりそうです。
※尼子家は八橋城を攻略寸前。正盛、緊張の中の包囲。それにしても羽衣石城も尼子家が帰ったと思ってほっとしていたら今度は三浦家に包囲されて災難である。
一方、三浦家の本拠地・高田城には三村軍およそ1500の兵が迫っていました。
もし三村軍に高田城の包囲を許せば、羽衣石城を攻める行松正盛も帰城せざるを得ません。そうなれば、三浦家の侵攻は失敗となってしまいます。ここは何としても三村軍を撃退しなければなりません。
※じつは一応、浦上家に援軍を要請する手もある。あるが、信用を失ってしまうので、できれば使いたくないのだ。
このとき、高田城の兵数は300。そのうち出陣できるのは200です。
三浦軍は、兵を三浦貞久とその弟・貞盛、100ずつの2隊にわけて高田城に布陣。
さらに三村軍の先鋒・竹内久盛との合戦がはじまると、備中の虎倉衆が1100の兵をひきいて三浦方にかけつけ、高田城を守る兵は総勢1300になりました。
※先の会戦で敗れたため、高田城の兵は少ない。完全にボウズ頼みなのだ。
予想される三村軍の総勢は1500です。貞久は虎倉衆が援軍に来たことで、各個撃破によって撃退できるとみました。三浦軍は竹内久盛に会戦をしかけます。
すると―――
※「夜襲に成功したぞ! 敵は混乱しておる、一気に勝負を決めよ!」三浦貞久による夜襲がきまった。。
なんと三浦貞久は高田城下に布陣する竹内久盛の虚を突き、夜襲に成功したのでした。
混乱する久盛隊は虎倉衆の攻撃をうけてあっという間に壊滅。三浦軍は勝利をおさめます。
※混乱して統制を失った兵は、もう蜘蛛の子のようなものである。貞久は過去の苦い経験を生かして見事に勝利した。
夜襲によって竹内久盛隊は撃退しましたが、後続の三村家親はあきらめず、そのまま高田城へと侵攻してきます。家親の兵は1000の予測が、実際には1800。その実態には、かなりの差がありました。
しかし兵数で負けているとはいえ、三浦軍は守備側なのでかなり有利です。三村家親も会戦での撃退をこころみます。
※三浦軍およそ1200VS三村軍1800。こうなれば撃退も余裕だろう。
会戦がはじまり、三浦軍は家親に対し部隊数で翻弄する攻撃を展開します。櫓と柵を活かした攻撃で、順調に家親の兵を減らしました。
しかし三村家親は虎倉衆に近づくと、戦法『穿ち抜け』を発動。
※家親が『穿ち抜け』を持っているとは。『穿ち抜け』は乱戦を大幅強化する強力な戦法である。
さらに家親は突撃を発動し、虎倉衆へと突っこんできました。『穿ち抜け』と突撃の連撃に、虎倉衆は一気に兵を減らしてしまいます。
ついでに貞久隊も一瞬で壊滅しました。
虎倉衆も家親の兵を道連れにして退却。
しかしその後、貞盛の『気勢崩し』によって、櫓からの攻撃をうけた家親の被害は拡大。三浦軍はなんとか逆転し、この会戦をものにしました。
三村家からの攻撃をしのいだ翌9月、貞久のもとには行松正盛が羽衣石城を攻略に成功したという報が届きます。長い戦いのすえに、ついに三浦家も領地拡大に成功したのです。
※「羽衣石城も、この正盛の手にかかればこの通りよ!」山名についていた過去を捨てた正盛。大手柄である。
素晴らしい。
私だったら確実にリロード連発の展開です。
四面楚歌のこの状況を打開できるとは・・・。
貞久公と中の人に脱帽です。
>通りすがりさん
コメントありがとうございます!
打開とはいきませんが、どうにか凌いでいますね。しかし三浦家には、まだまだ油断できない状況が続きます。
失敗したらリロード連発してもいいのではないでしょうか。
私はこの縛りのためにプレイ中、ちょっと胃が痛くなります……。
手に汗にぎりました!
貞盛が冷めた表情で無傷で吹いてしまいましたw
>なみたろうさん
コメントありがとうございます!
戦をしているのに、あの表情は吹きますね。貞盛はマイペースそうに見えます。
しかし彼なりに、三浦家のために頑張っているのでしょう。。
いや〜本当に凄いです!
読んでいるこちらも手に汗にぎります(。-_-。)
コメントありがとうございます!
緊張感が伝わっているなら嬉しいです。私も冷や汗が出ました。。
しんどい場面が続いていますが、お付き合いくださいm(_ _)m
すごいですね自分ならとっくに辞めていますよ(psvita版pkプレイ中)