カテゴリー別アーカイブ: 九州征伐 大崎家 part3

【大崎文の野望】その3 融雪の鬨

1605年10月、大崎文のもとに、北条家当主・北条氏政から使者が到着します。要件は豊臣領・安濃津城攻撃の援軍要請でした。大崎家はこれを承諾し、ともに安濃津城を攻略することになりました。

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※当家に助太刀していただけませぬか?

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【大崎文の野望】その2

大崎文は”創造”主義をめざし、各軍団に創造性を上げる開発指示をしていました。その効果がさっそく出はじめたのか、大崎家の体制は”創造”へと変わりつつあることを佐竹義重が報告してきました。

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※「当家の主義が中道から創造へと移り変わっているようです」 義重の顔が並びすぎて、ちょっとゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。豊臣領には創造性を上げる施設もあるので、攻略を続ければ創造性も自動的に上がりそうである。

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【大崎文の野望】プロローグ

1605年9月、大崎家は奥州から尾張への遠征軍をくりだした。しかし、その途上で大崎家当主・大崎義隆は病没。大崎家の家督は義隆の娘・大崎文がひき継ぐこととなった。この大胆な決断にも、家中には主だった動きはなかった。

新たに当主となった大崎文は自らがひきいる遠征軍を強行。尾張の支配権、さらにはその先にある上洛を目指して、豊臣家と闘う覚悟を新たにしたのだった。

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※姫大名

 

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