カテゴリー別アーカイブ: 九州征伐 大崎家 part2

【大崎義隆の野望】その14 食えぬ狸の早変化

豊臣領・杣山城の攻略に成功した大崎義隆ですが、豊臣家はその落城をうけてすぐに対応します。豊臣家・黒田官兵衛を中心としたおよそ54000の兵が杣山城奪還をめざして出陣しました。

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【大崎義隆の野望】その15 北陸軍団長・四釜隆秀

1599年11月、反徳川連合の盟主・大崎義隆は勝利にうかれ、敵であった徳川家康に所領を与えるという戦後処理をしました。その裏では、北陸の軍団長・四釜隆秀が豊臣家の侵攻をうけて、難しい局面をむかえていました。

隆秀は大崎義隆の独立以来つき従ってきた重臣です。武勇に優れる彼は北陸の小さな軍団を任されていましたが、富山城から始まった北陸軍団は勢力を拡大、今では越前にまで領地を広げていました。

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※四釜隆秀はあまり目立っていないが、義隆の信頼も篤い。ところで今気づいたが、拠点13に対して武将10と大変かわいそうな状態だった。

 

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【大崎義隆の野望】その16 反豊臣連合

北陸でひと騒動あった裏で、大崎家は政策『遠交近攻』を採用して九州の覇者・島津家に接近します。これは反豊臣連合の結成を意識したものでした。

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※島津家への使者には津軽為信が担当。互いにお国言葉が激しそうなので、意思疎通ができるのかはすこし心配である。

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【大崎義隆の野望】その18 虎狩り

1603年5月、後瀬山城の戦いが始まりました。大崎家は同時に長浜城にも侵攻。豊臣家の目もそちらに向いていて、ここを破れば豊臣軍の後続はおそらくありません。

この戦いは、大崎家の北陸統一をかけた重要な会戦です。

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