【本山茂辰の野望】その9 第二次毛利攻略戦の始動

ノリで反・島津連合を結成してしまった本山家は、島津・毛利・武田の3家と対立することとなりました。

motoyama2_9_1※本山家は上洛を果たし国力が全国1位となったものの、将の能力や兵力では島津家に劣り、武器も乏しい。しかし、前当主、本山茂宗の戦闘能力は限界値まで達し、かなり強くなった。

さて、今後の方針を決めなければなりません。目下の難敵は、西の島津(兵力17万)、北の毛利(兵力7万5千)、東の武田(兵力9万)です。内、武田家は近畿の三好義賢軍団、西園寺実充軍団に対応させます。

motoyama2_9_0※武田家は美濃にまで勢力を伸ばしており、近江の六角家が射程圏内に入っていて危険な存在である。

もちろん最大の標的は島津ですが、本山領・四国と島津領・九州の間は豊予海峡があり、かなり離れていて進軍が困難です。島津にとってもそれは同じで、恐らくは攻めやすい大内家を狙うのでこちらには兵を割きません。

ひとまずは島津を放置し、中国地方の親島津である毛利家の攻略を急ぎます。茂辰はかつて毛利家の攻略に失敗して酢酸を舐めさせられていますが、今度はしくじるわけにはいきません。

1562年4月、本山茂辰は自ら兵を率いて朝倉城から出陣、安芸の神辺城を目指します。同時に畿内・淡路周辺の荒木村重らの兵がその東側の津山城へ向けて出陣。

さらに四国西部を統治する村上武吉軍団に西側の賀儀城への侵攻を指示しました。ここで一気に毛利を殲滅し、攻略する算段です。

motoyama2_9_3※一度攻略に失敗しているからか村上武吉も、「周辺拠点から援軍の気配があります。激しい戦いとなるかもしれません」と、ちょっと弱気である。

津山城の攻略は村重が頑張りますが、兵が足りないので浦上家に援軍を要請しました。すると、浦上領からドバっと出陣。浦上としても毛利への日頃の恨みが募っているのか、かなり本気です。

motoyama2_9_4※出過ぎ……。

さて、瀬戸内海を超えた本山茂辰、茂宗、森田浄雲の兵が、神辺城手前、深津で毛利元就に進軍を阻まれました。このまま通常戦闘でもいいのですが、この戦は何としてもモノにしたいので、会戦を決断。

本山19526VS毛利8594という、毛利の倍もある圧倒的な兵力差で押しつぶすことにしました。

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※倍の兵力差なんて、ちょっとやり過ぎじゃないかなーなんて茂宗もきっと思ってました。

 

ところが---。なんか様子がヘンです……。

motoyama2_9_6※夜襲である。元就も厳島の戦いを乗り越えたことで、夜襲慣れしているのかもしれない。深津には本山兵たちの阿鼻叫喚の声が響いていることだろう。

やってくれます。さすがは毛利元就。伊達に鬼謀で成り上がった訳ではないということでしょう。

茂辰は過ちを繰り返してしまうのでしょうか。というか、この会戦、生き残れるのでしょうか。

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