【本山茂辰の野望】その6

村上武吉は海賊です。昨年は彼の娘・景(20歳)が主役の『村上海賊の娘』が本屋大賞になり話題になりました。でも、そんなことは今回の話には関係ありません。【本山茂辰の野望】の村上武吉は、軍団長として本山茂辰の無茶な要望に答える、パワフルなアラサーです。

motoyama2_6_1 ※武吉は茂辰に侵攻を指示されると、『必ずや目標を陥落させて見せます』と答えた。さすが村上海賊の娘の父。ところで、敵城の侵攻を指示すると別の敵城への陽動部隊もちゃんと出してくれて賢い。

この武吉の言葉に安心した茂辰は、主な攻略を村上軍団に任せ、本隊からは東土佐4000程度の部隊を派遣するに留めました。

攻略中の畿内の情勢が安定せず、戦況も思わしくありません。先の戦いで攻め落としたばかりの高屋城では一揆を企てているという報告もあり、その対応に追われていたことが要因です。

motoyama2_6_2※民を増長させるつもりはないので、鎮圧した。しかし、一揆を鎮圧して民忠が増えるのはどういうことなのだろう。考えさせられる。

 

1560年3月、茂辰の嫡男、親茂が元服。朝倉城主となりました。本山家中は次代当主の元服に、少しほっこりしました。

motoyama2_6_4※親茂は長宗我部元親に与えられた名らしい。本来は貞茂。茂辰などは親茂を呼ぶたびに元親を思い出しちゃって大変そうだ。

そんなめでたき折に、訃報が飛び込んできました。

村上軍団の吉田孝頼、佐藤銀山城にて討死。

motoyama2_6_5※享年65歳。本山家を一度出奔したが、再び戻ってきてその屋台骨の一角となった。軍団長候補になりながらも、年齢制限に引っかかって軍団長になれなかった舞台裏があったりした。

慌てて戦の様子を見ると、村上軍団が押されています。武吉の自信みなぎる発言で忘れていましたが、毛利家の将、特に毛利一族は人並み外れた才能を持っており、これを攻めるというのは並大抵のことではありません。というか、兵力でも負けていたので勝ち目がない。

motoyama2_6_7※毛利家の次男・吉川元春だが、本山家随一の戦闘力を誇る村上武吉に戦闘・武勇面で20も差をつけるほど強い。それにしても戦法が「三本の矢」とは、ユーモラス。

かといって、軍団に一度出した侵攻命令は取り下げることができません。茂辰は孝頼を失った怒りや恨みとかそういったものを晴らすために毛利元就に大会戦を挑むことを決定。

兵力が不足しているので、讃岐から後詰が出陣。更に浦上家に神辺城への援軍を要請しました。その到着を待って、神辺城周辺で本山・浦上14177VS毛利8553の大会戦を開戦。将の能力差を兵力の差で押し切り、勝利しました。

motoyama2_6_6※会戦勝利後にはボーナスとして百万一心(血族が同じ部隊にいると攻撃力上昇)の伝授権を手に入れた。

これにより、茂辰は自ら百万一心を習得。毛利との戦いの教訓としました。大会戦での勝利によってひとまずは悦に浸り、孝頼を失った悲しみを癒やすことができました。

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※茂辰、「この力で、天下を目指す!」と、おおはしゃぎである。しかし、これで戦が終わったわけではなく、村上軍団は律儀に毛利を攻略中。正直、もう兵を引いて欲しい。

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