大崎文は”創造”主義をめざし、各軍団に創造性を上げる開発指示をしていました。その効果がさっそく出はじめたのか、大崎家の体制は”創造”へと変わりつつあることを佐竹義重が報告してきました。
※「当家の主義が中道から創造へと移り変わっているようです」 義重の顔が並びすぎて、ちょっとゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。豊臣領には創造性を上げる施設もあるので、攻略を続ければ創造性も自動的に上がりそうである。
以下は単なる小芝居なので、読み飛ばしても問題ありません。
1605年9月、大崎家は奥州から尾張への遠征軍をくりだした。しかし、その途上で大崎家当主・大崎義隆は病没。大崎家の家督は義隆の娘・大崎文がひき継ぐこととなった。この大胆な決断にも、家中には主だった動きはなかった。
新たに当主となった大崎文は自らがひきいる遠征軍を強行。尾張の支配権、さらにはその先にある上洛を目指して、豊臣家と闘う覚悟を新たにしたのだった。
知人が関ヶ原の戦い(西軍)のイベント会戦が難しいと言っていたのですが、クリアできたのでためしにプレイ動画を作ってみました。初録画なのでわれながら緊張しているのがプレイから伝わってきますね。(以前よりちょっと難しくなっている気がします)
※ブオンブオンうるさいので音量注意です。しかも画質が悪いですね。でもあげっぱなしです。たぶん投稿してみたかっただけなのでしょう。