斯波家を吸収した南部家は、更なる領地の拡大をもくろみ南下します。その先には伊達家が待ち受けていました。
と、その前に、PK版になって道の整備の操作性がかなり向上したことに触れておきます。
※街道の整備画面です。
上の画像は今作の街道の整備画面ですが、画像の左下あたりに、「整備予定街道」というウィンドウが表示されています。無印では1命令で1箇所ずつ、チマチマと作業しなくてはなりませんでした。評定は月に1回なのに、作業期間が23日の命令も、32日の命令も、整備が終わってからの次の評定まで待たなくては次の整備命令ができず、悔しい思いをしていました。
一方、PK版では複数の街道の整備命令を一度に武将に与えることができるようになっています。作業したい箇所をクリックすると整備予定街道に整備する街道が追加されていきます。
街道を複数選択できる上に、同じ街道を複数回整備することもできます。例えば沼宮内~滝沢間の街道は整備段階が1だったのですが、2回同じ場所をクリックすると2段階整備して3にせよ、ということもできました。
武将に命令を下すと月をまたいで、まとめて作業をしてくれるのです。丁度いい期間に調整できて便利。つーか、始めからこうしてくれ!!
さて、南下の前に、領地が広がってきて命令の届かない場所もあります。せっかくなので、軍団を新設してみることにしました。
石川高信を軍団長とする、石川城を中心とした津軽方面の軍団ですが、為信の反乱に気をつけてほしい。為信まだ生まれてないけど。
北方軍は安藤家を攻略目標としました。
※おう。
これで北は安心ですね。
これから南下するとまず葛西家に当たることになります。葛西・大崎を飲み込み、丸森伊達家の利府城を攻略するのですが、丸森伊達家の国力は侮れません。万一両家への援軍に来られると厄介です。
が、そんなこともなく葛西・大崎はあっさり攻略出来ました。(省略)
さて、本丸である利府城を見ると…。
※利府城は耐久6500の堅城になっていました
これは…! 北東北では見る機会のなかった数値です。耐久度6500ということは、包囲に6500の兵が必要だということです。さらに矢倉が設置されているので、包囲軍への被害も考えられます。
今回は城の普請コマンドが充実しているため、城耐久度がドンドン上がるようです。(これ、難易度上げるとCPUはバシバシ普請するんじゃないか? しんどそう)
更に丸森伊達家は相馬と同盟を組んでおり、相馬からの援軍が来ると攻め落とせない可能性もあります。ひとまず、同盟の切れるまで様子を見ることにしました。同時にこちらの勢いに畏怖している最上家へ工作を行い、援軍派遣を要請する準備を進め、攻略の準備としました。
※そうこうしているうちに北方軍の高信が檜山城を攻略しました
それから4ヶ月が経過したころ、丸森伊達家に動きがありました。なんと、かつて同盟を組んでいた相馬領相馬中村城へと進軍を始めたのです。伊達稙宗が領土拡大の欲を出した結果、南部の付け入る隙を作ってしまったのです。
もちろん、この好機を逃さず、ただちに南部の軍が伊達領へとなだれ込みますが、それでも相馬攻めをやめません。ようやく戻ってきた頃には息も絶え絶え、南部の精強な軍に粉砕されました。
※利府城は案外なんとかなりました
最上からの援軍も到着し、丸森城の他は全て南部領となりました。丸森伊達家は潰れて伊達家へと統合され、天文の乱は思いもよらぬ形で終結したのです。。。