【本山茂辰の野望】その2 光の使者

1557年11月、本山家では三好領・洲本城へいよいよ出兵という段階になりました。そこで鈴木家へ洲本攻略の援軍を要請しようと様子を見たところ驚愕。なんと鈴木家は三好家と手を組んでいたのです。

鈴木家の外交状況※鈴木家は本山家の影響力の強さを警戒し敵視していた。それを放置していたのだから、当然といえば当然の対応である。

重要な場面で三好長慶に先手を打たれました。

とりあえず、鈴木家まで敵に回すわけにはいかないので仕方なく鈴木家と12ヶ月の同盟を締結。しかし、これで洲本攻めの援軍はなくなり、一気に心細くなりました。

この月、洲本城主・荒木村重との不戦の約束を取り付けることに成功。

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※へい、毎度っ! 荒木村重と本山家の付き合いは長い。これで何度目の不戦の密約だろうか。数えてみると3回目だった。

それに合わせ、阿波・讃岐の兵を中心とした洲本攻略軍が出陣しました。その数およそ13000。この兵力で洲本城を強行し、降伏をうながす短期決戦とします。さらに土佐から1900程度の陽動部隊も出撃しました。

対して洲本城4000の兵は既に内通済みです。三好の援軍は、岸和田城の十河一存ですが、おおよそ3500程度のようなので、十分に撃退可能でしょう。

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※鬼十河が出陣といえども、今回は実は奥の手がある。しかし、更にその東を見ると光る物体が……。

この時、東から不穏な大軍が洲本城へと近づいてきます。本願寺が誇る最強の坊主・下間頼廉が石山御坊から出陣したのです。その数、推定6000。頼廉の部隊は不気味に洲本城の北部へと向かいます。

最強坊主、ライレン
※下間頼廉はただの坊主ではない。実態は優秀な武将で、なんと齢90まで生きる。更に首にでっかい数珠を巻いていて、その気になれば殺意の波動を操ることもできそうな坊主である。

本願寺家の外交状況を確認すると、三好家と停戦状態となっていました。つまり、頼廉は三好方の援軍として、洲本城へと向かってきたということになります。これはかなり辛い。

 

しかし本山家は洲本攻めを強行。本山茂宗隊が荒木村重をスルーして洲本城に布陣する十河一存の部隊と接触すると、3500程度と思っていたのが実際には5100。結構誤差がありました。頼廉、村重と合わせると少なくとも14600となり、本山家の洲本城攻略軍を逆転しています。

戦力の不足を補うために、湯築城、天霧城から7000程度の後詰部隊が出陣。東土佐からも9000ほどの援軍を出しました。

更に奥の手を発動。密談を実行中だった小笠原成助に不戦の約束を取り付けました。これにより、成助が部隊を内部から切り崩し、十河一存隊は機能を失って3ヶ月間の不戦状態となりました。

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※出陣中の部隊に所属する武将に不戦を申し込むと、部隊ごと不戦になるらしい。どうなるかわからなかったが、良い発見ができた。それにしても成助はいつ見てもいい顔をしている。

しかし準備不足感が否めず、洲本城の攻略は全く場当たりの作戦となってしまいました。

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