【本山茂辰の野望】その1 茂辰、土佐守を自称す

1557年7月、四国一帯を支配する本山茂辰は第一の方針として畿内の制圧に注力することとしました。しかし、そのためにはまず淡路島にある洲本城を攻略して、畿内攻略の拠点にする必要があります。

その洲本城の城主を確認してみると、なんとあの荒木村重でした。

洲本城を守る村重※過去に何度も本山との不戦に応じている逆臣である。こんな重要な拠点に村重を配置するとは、三好長慶も人がいいというか、懲りないらしい。

荒木村重の忠誠値は未だ低いままで、三好家に不満があるようです。もし彼との不戦が成功すれば洲本城は空同然となり、早々に降伏させることも現実的となる。早速、村重に密談をしかけ、不戦交渉が可能になる4ヶ月後まで待ちます。

不戦交渉までの4ヶ月の間は洲本城攻略戦の主力となる讃岐・阿波の城に西園寺実充、土居清宗、横山智隆ら、有力な家臣を集めて戦いに備えました。西方面は湯築城に猛将・村上武吉を配置し、島津、毛利を牽制します。

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※本山家臣団の中で最高齢の土居清宗(75歳)は、西園寺十五将でもある優秀な将だが、いつ天寿をまっとうするかハラハラさせられる。

あとは紀伊・鈴木家からの援軍も要請可能なので、鈴木家との共同作戦で挑めば更に攻略の成功率は上がるでしょう。

さて、その間、中国地方では盟友・浦上家が毛利家と争っていました。様子を見ていると、どうも浦上家は毛利に押されている。本山家としては毛利の勢力が拡大するのは好ましくないので、頼まれてもいないのに援軍を送ることにしました。

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※浦上家の津山城が攻められている。さらに毛利元就の三男・小早川隆景が5000くらいの兵を率いて出陣。隆景は強い上に美形。全く兵を出していない浦上家はこれを食い止めるのは難しいだろうと判断した。

ところが、援軍を出したとたんに浦上領内から一斉に出兵。一応、十河城主、本山藍(姫武将)の部隊だけ送りましたが、十分に自衛できていて結局無駄足でした。

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※浦上としても、本山の力を借りるつもりはないということだろう。しかも実は小早川隆景は別働隊で、向かっていたのは山名家の鳥取城だった。隆景を攻撃目標としていた本山藍はそのまま鳥取まで行くハメになった。

一方、九州では島津氏が次々と周囲の城を陥落。九州北部を支配する大友家は、大内家と結託して何とかこらえていますが、滅亡間近。島津による九州の統一も時間の問題です。やはり島津は強い。

プロローグで設定した方針通りひとまずは島津と同盟を結びますが、いつまでも友好関係を維持するつもりはありません。一応、島津が九州を統一した後に四国へと攻撃してきた場合のことも考えたほうが良さそうです。

その場合、伊予へと攻めてくるはずです。そこで、伊予の各城に鉄砲銃眼を設置して、島津への備えとします(しかし、大友と連携して島津の領土拡大を食い止めるべきだったかもしれません)。

 

それから月日が流れて4ヶ月。そろそろ洲本城攻略の時期になりました。茂辰が洲本城を攻略し、三好を滅ぼした後には上洛が待っています。

さすがに上洛をするのに何の官位も無いと格好がつかないと考えた茂辰は慌てて官位を得て自らに箔をつけることにしました。

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motoyama2_1_6※きっと忠義に厚い豪族たちも納得したはずである。こうして茂辰は一応、名実ともに土佐の支配者となり、四国より日本全土に覇を唱える決意を新たにしたかもしれない。

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