大友家が秋月城を狙って敵視していることが知れたため、当家は親大友の立場を改める必要がありました。大友と戦になった時にそなえて、軍事面を整えなければなりません。
さて、今作では“募兵”コマンドがあります。兵の数を自分で決められるのです。秋月家は募兵を行うことで大友家への警戒を強めました。
募兵をして戦に備える
募兵でできることは、城の人口に対して、兵士の割合をどれだけにするかの調整。城の人口全てを兵にすることもできます。
城の人口を構成しているのは農民と流民です。農民は米を生産し、兵にすると農兵に。流民は特になにも生み出しませんが兵にすると足軽になります。兵としては足軽のほうが力が強いようです。
流民を足軽にすると金銭の維持費がかかります。農民を農兵にすると農業に注力できなくなるので生産性が減り、兵糧の収入が減ります。兵糧収入が減ると民忠(民の忠誠度)が高くなりません。
民忠は高いと人口が増加しやすくなる数値。この値は将来的な生産力、兵力にかかわってきます。基本的には募兵もバランスを考える必要があります。
ひとまず秋月家は金銭には余裕があるので足軽を増やします。募兵をする数が多いほど、募兵が終わるまでに時間がかかります。他にそなえるにしても、はやめに募兵をする必要があります。
※兵には練度がないので、どんどん調整していい。プレイリポートでは書いていないが、このプレイでは収穫期に農兵を減らして収穫を増やしたりしている。収穫が終わったらまた農兵を増やすといい感じ。
とりあえず募兵を終えて次は外交関係の見直しです。
秋月家は大友家に敵視されているので同盟を結ぶのはおろか交渉さえできません。そこで今度は別勢力に接近することにしました。西の龍造寺家と南の島津家です。彼らに奏者をおくります。
※「松浦に使いを出せ! 五洲ニ島の太守様に挨拶しろとな!」威勢よく俺様な龍造寺隆信。
またもともとは取引が目的でしたが、すでに心証をよくしてある大内家との同盟も視野に入れます。
ある勢力は、盟友を攻撃されれば心証が悪くなります。たとえ攻め側と同盟関係にあってもです。そういう行動は同盟関係そのものを壊すことになりかねません。
秋月家が大内家と同盟を結べば、大友家は秋月家を攻めたときに、下手をすれば大内家を敵にまわすことになるのです。保険の意味でも同盟を組んでおいて損はありません。
また同盟に先だって大内家と通商条約を結ぶことにしました。
ただその前に秋月領内の商圏を独占します。
こうすることで、こちらは大内家の商圏に進出するが、大内家は秋月の商圏に進出できないというふざけた状況になりました。ここから秋月家は、一方的に大内家の商圏に進出できるようになったのです。
※まさに非道。大内をだまくらかして通商条約を締結してしまった。こうしたのは進出された後に追い出すと心証にマイナス効果があるからである。ちなみに多くの勢力が介入した場合、商圏の収入が減るが発展度は高くなるというメリットがある。
通商条約を結んだことで両家の距離は縮まり、同盟を締結。
ここで確認すると、狙いどおり大友家は秋月家を標的から外したのでした。そして大友家は相良家をねらいはじめたようです。
※切支丹に熱心な大友義鎮は拡張志向が強いのかもしれない。しかし武力にものを言わせて教義を広めようとする姿勢は周辺勢力からすると迷惑千万である。
外交関係の問題が解決したので内政に注力できます。秋月家の志は“領地保全”。
領地保全は、農業に向いた志です。”農地改革”は15000以上の広い農地がある城を支配下におくことで農業がはかどるようになります。今のところはどんどん開墾します。
※『志』は武将ごとに設定されている。メリットとデメリットがあり、大名になるとある条件で良効果が解放される。
農業
今作の農業は3ヶ月の季節ごとに実行。 “労力”を使用して、領内の農地へ支援をします。治水を上げたり、農地を増やしたりします。
その季節にできることは決まっています。労力は1年を通じて使うので、たとえば冬に“開墾”ばかりしていると、夏には労力がなくなり、“草刈り”などはできなくなってしまいます。
この農業は民忠とかかわっています。城には必要収入というものがあり、米の収穫量が必要収入を下回ると、民忠が下がってしまうのです。逆に収穫量が多いと民忠は上がります。
※労役免除という、一年のあいだ農民をニート化させることで生産性と民忠を上げる特殊なコマンドもある。だが、もちろん実際に農民をニート化させるわけではない。
前にも書きましたが民忠が高いと毎月、人口が増えます。人口が多くなれば米も兵も潤沢になるので重要な要素なのです。
秋月家の志を果たすためにも、とりあえずひたすら秋月城の開墾を続けます。開墾は方策で補助効果が狙えるものもあるので、余裕があれば農業支援の方策も伸ばしていきます。
※秋月城を開墾。今のペースでいけば、秋月城の農地を15000にするためには3年以上はかかりそうだ。先は長いが、着実に開墾することで少しずつ国力は上がっていく。
米の収穫期、動きはじめる群雄たち
1555年9月、米の収穫があり、秋月家の米蔵もそれなりにうるおい、そして九州の各勢力が動きはじめました。
まず島津貴久が動きます。領地拡大のために兵を出陣。どうやら狙いは伊東家のようです。
龍造寺隆信は南の有馬家へと進軍。
大友義鎮も動きました。南西の相良領へ侵出にかかります。
※「皆の者、相良が兵を打ち破り、この地上にでうすの威を示すのだ! 神よ、我らにご加護を……エイメン!」
この月、秋月家に戦への参戦要求がきました。なんと当家を敵視している大友家からです。
まさかの誘い。しかし大友家の敵視を解消するチャンスかもしれません。相良についた龍造寺を敵にまわすことになりますが、また路線を修正して秋月―大友―大内で龍造寺攻めができればそれに越したことはありません。ここは大友家に助力してみましょう。
それから大友家は伊東にも宣戦布告。
侵攻範囲を広げて兵が不足したのか、大友家はさらに援軍の要請まできました。当家はこれにも応じます。鉄砲1201の見返りを条件に秋月城の兵を貸すことになったのです。
※このゲームでは援軍は城単位での貸し借りになる(兵と武将)。援軍に応じた城は、6ヶ月間、その勢力下にあるのと同じように扱われる。
ここまでしたのですから、さすがに敵視は解消されることでしょう。
と思っていたけど解消されませんでした。
さらにこの月、『厳島の戦い』が発生。大内家の陶晴賢が死亡します。本格的な衰退がはじまりそうな感じです。
その後11月になると、大友家は南進に注力。戸次鑑連らも領地を切り取るのに夢中です。そして秋月家に対しては敵視のまま。
秋月としては、もう大友に振り回されるのはこりごりでした。大友の目が南に向いているうちに、秋月家の隣国、大友家の同盟国である少弐家へ宣戦布告をしました。
※当主・秋月文種は宣戦布告のときに「大義は我らにあり!」と叫んだが、特に大義はないぞ