1572年11月頃。
このころ、織田信長が上洛へ邁進していました。
翌年1573年1月には無事に上洛。足利義昭が将軍となったでした。これにより、足利義昭は二条で独立します。
畿内での勢力拡大に成功した織田家は、勢力規模が全国二位になりました。
毛利元就の死をきっかけに毛利家の影響下から抜け出したい三浦家は、織田家への接近を急ぐ必要があります。まだ勢力が離れているので外交はできませんが、東へと勢力を伸ばすことで近づくことはできます。
ちょうどこのころ、三浦貞広の長女、三浦唄が髪結いを終えました。貞広は唄を織田家に嫁がせて“婚姻同盟”を結ぶことを視野にいれ、外交工作の準備をはじめていました。
※三浦唄は保守主義の娘なので、創造主義の織田一門との相性は最悪。織田家に嫁がせるのは酷なことかもしれない。
さて、現在、三浦家は浦上家の岡山城攻略を目標としています。
※もともと友好国だった浦上家。色々あって現在は見る影もなく、両家の関係は交渉の余地がない最悪の“断絶”である。
三浦貞広はその準備として浦上家臣・花房正幸への調略を進めていました。その調略がみのり、ついに正幸は不戦に応じそうな雰囲気になりました。
貞広はさっそく不戦の約束をとりつけるために使者を送りこみます。正幸はこれに応じました。
※花房正幸は浦上宗景の居城・天神山城に所属する武将。浦上宗景の副将として出陣する可能性が高い。
さらに、城代不在だった大佐山城に牧国信を派遣。兵の確保を急ぎ、戦の準備をすすめます。
※岡山城を攻略するためには、全力を尽くさねばならない。牧国信は自然豊かな大佐山で、おそらく束の間のレジャーを楽しんでいることだろう(楽しんでいない)
1573年3月。
三好家が下津井城への侵攻を再開します。その侵攻に合わせて、三浦軍はふたたび岡山城への侵攻を決めました。
かつて後ろ盾であった浦上家に先制攻撃をしかける形になります。貞広はみずから、高田城から出陣しました。
三浦領から兵を出すと、それに合わせて各勢力は警戒の兵を出陣。浦上家も岡山城へと防衛の兵を出します。
そして予想どおり、花房正幸は浦上宗景の副将として出陣。浦上宗景の本隊5300は、正幸のために一ヶ月の間、無力化しました。
※「ここは戦わずにやり過ごすとするか!」 いっちょやってみっか! というような軽いノリで不戦をきめる花房正幸。浦上宗景を押さえ込むという離れ業をやってのけた。
三浦軍は岡山城を包囲。攻城戦を開始します。
※三浦家は、浦上家の後援をうけて独立を果たした。その後、外交の失敗によって断絶した浦上家に対して、ついに戦いを挑んでしまった三浦家。覆水盆に返らず。ついにここまで来てしまったのだ。
ここに三浦家と浦上家の緒戦となる、『岡山城の戦い』が開戦しました。
岡山城の戦い
三浦軍(10000) VS 浦上軍(8100)
三浦軍
武将名/ 兵数/ 統率(守備力)/ 武勇(攻撃力)
- 三浦貞広 / 1800/ 60/ 53↑
- 牧良長/ 3700/ 66/ 73
- 牧国信/ 1200/ 68/ 54↓↓
- 庄高資/ 1400/ 55/ 52
後詰:
- 上野隆徳/ 1900/ 66/ 55
浦上軍
武将名/ 兵数/ 統率(守備力)/ 武勇(攻撃力)
- 岡利勝/ 3900/ 67↑↑/ 69↑↑
- 宇喜多忠家/ 1300 / 67↑/ 58↑
後詰:
- 明石全登/ 2900/ 81↑↑/ 77↑↑
不戦(一ヶ月):
- 浦上宗景/5300/ 64↑↑/ 64↑↑
※矢印は補給・練度による能力補正
状況
浦上宗景本隊を不戦交渉で無理やり押さえ込みました。これで兵数では三浦軍が優位となりましたが、武将の質はわずかに浦上軍のほうが上です。
両軍をくらべると、練度には差があります。これは城主を任命していない三浦家の練度が低いからです(武将育成のため)。兵の数をみれば有利ですが、補正による能力差は大きく、それがどれだけ戦況に影響するかは想像できません。
厄介なのは後詰めの明石全登で、能力が高いうえに練度65と高い。三浦軍の練度は40程度です。まともに戦えば、勝ち目はなさそうです。
※明石全登(あかし たけのり/ぜんとう/てるずみ/じょあん/カモン)は呼び方で性格占いができそうな武将である。大坂城五人衆として大河ドラマ『真田丸』にも出演しており、こちらの主力武将・牧良長でもかなり厳しい相手となる。
また、合戦中に一ヶ月がすぎると不戦状態の浦上宗景(兵数5300)が参戦することも考えられます。そうなれば勝ち目は薄くなります。
攻城戦では天守が陥落した時点で、攻撃側の勝ちになります。その場合、合戦に参加している防衛側の兵は敗走し、0になります。はやく天守を攻略して、勝負をつけたいところです。
この城の天守を落とすには最低でも3つの城門を突破しなければなりません。各城門は、敵部隊がいると、とても固くなります。きちんと城門を守られると、こちらの兵力では攻略は厳しそうです。
攻略を楽にするために、防衛部隊の撃破をこころみます。
浦上軍は西門に2部隊を配置しているようです。この2部隊を撃破できれば、城は空になるので勝利は目前です。
※ちなみに、右下の図を見ると布陣がわかる。青いマークがこちらの部隊で、北東に牧良長、北西に牧国信、南西に三浦貞広と庄高資である。
そのために、こちらの3部隊をこの西門に集めます。
ここでも三浦貞広の副将・中村則治の“離間”に頼ることになりそうです。まず“離間”で敵を同士討ちにした後に、三浦貞広が“挑発”で敵部隊を城門前に誘いだし、その上で敵部隊をせん滅します。
その間、主力の牧良長は、東門突破をねらいます。
場合によっては、これが浦上家との決戦になるかもしれません。敗北すれば、反撃を跳ね返す余力は三浦家に残されていないのです。(合戦コマンド年一回縛りのため)
三浦軍は攻城戦を展開しました。力攻めによる天守攻略を目指して進軍を開始します。
予定通り、牧良長は東門の城門突破を目指し、ほか3部隊は西門で防衛隊を攻撃、せん滅をはかることとして、それぞれ行動を開始しました。
主力・牧良長はさっそく東門へと到着。しかし、岡山城の棟門は固く、なかなか耐久値が削れません。攻略に手間取っていました。
※武勇73をほこる三浦軍最強武将・牧良長。懸命に攻撃をしかけているが、門を壊すのには結構かかりそうだ。
西門には、無事に3部隊が集結。
さて攻撃をしかけようというところに、北方から上野隆徳が到着。参戦します。
上野隆徳も攻撃に参加するために西門へと向かいます。
※思ったよりも到着が早い。この分だと、明石全登の到着も間近か。
西門では庄高資が岡利勝隊を発見します。ところが一緒に守っているはずの宇喜多忠家の姿が見あたりません。
どうやら、忠家隊は西門から移動したようです。そのため、同士討ちをしかけることができなくなりました。やむを得ず、そのまま岡利勝への攻撃をはじめます。
まず三浦貞広みずから、岡利勝を挑発。さらに副将・石川久智が神速を発動し、素早く後退することで城門前へと誘い出すことに成功します。
そのうえで、右方、庄高資が城門への退路をふさぎ、さらに左方に控えていた牧国信が”鬨の声”をあげて岡利勝へと迫ります。
こうして利勝隊に対して、3部隊での包囲が完成。その上、中村則治が離間をしかけることで、岡利勝隊を一気に突き崩すことに成功しました。この包囲に、後詰・上野隆徳が参加すれば、大勢は決します。
そのころ、牧良長が東門を突破。
続いてニノ門の破壊をはじめます。攻略を順調に進めていましたが、そこに宇喜多忠家が到着。防衛にあたっていました。忠家は二之門の守備を固めます。
門を固められると面倒です。牧良長はいったん迂回することを検討します。城内を移動し、南に向かうことにしました。
ところが、牧良長が城内を移動している間に岡利勝隊が壊滅の危機となります。忠家はニノ門をはなれ、利勝の救援にむかいました。
牧良長はそれを見て、ニノ門への攻撃を再開。すると忠家は慌ててニノ門防衛に戻ります。しかも、城門から打って出てきたのでした。
忠家隊は必死に抵抗しますが、壊滅も目前。西門の岡利勝隊は壊滅し、両軍の兵数は三浦軍5844に対して浦上軍663。勝敗は決したかに思われました。
勝利間近の三浦軍。岡利勝を撃破した西門では、上野隆徳が城門への攻撃をはじめます。
そのとき、貞広本隊が待機する西門前、その南後方に軍勢が現れます。敵方の後詰・明石全登が戦場に到着したのでした。
※北から迫っていた名将・明石全登。本隊への奇襲のような形になった。神のご加護あれ。