【三浦貞広の野望2】その2

1570年9月。この年も全国的な豊作となります。その結果、毛利家の米蔵が溢れました。


※「豊作で米蔵が溢れておりましてな」と毛利元就。三浦領内は例年通りだった。

 

 

さてこの月、浦上家との停戦期間が残り7ヶ月になっていました。

浦上家と戦になった時に備える必要がありますが、限られた時間の中でどこに手を付けるのか悩みどころです。

 

現状では、浦上家のかかえる兵力は23000。対して三浦家の兵力は5000ほどです。兵力と将の能力の両方で負けています。

ただ、反毛利連合の存在があるので、浦上家もすぐには動けないかもしれません。

浦上家の背後には、その主家筋だった赤松家が侵攻の機会をうかがっています。また、四国の三好家は、たびたび瀬戸内海を越えて浦上家の家臣、宇喜多直家家(うきたなおいえけ)の下津井城を攻めていました。


※別所家をしたがえる赤松家。浦上家の東側で目を光らせている。

これらの家は、反毛利連合で結ばれています。背後に憂いのある浦上家は、停戦が終わったからといって、うかつに兵を出すことはできないはずです。

 

しかし、それでも攻めてくるとすれば、新たに築城した西川城が狙われそうです。耐久値が低く、浦上領から攻めやすい位置にあるからです。

もしも西川城を攻められた場合、籠城戦での撃退を目指すことになります。まずは戦にそなえて西川城を改修することにしました。

貞広はその奉行として三浦貞盛を西川城に派遣。

 

改修するのは城門です。棟門の改修期間はおよそ2ヶ月。浦上家との停戦終了までに、さらに堅い鉄城門に建て替えることを目指します。


※鉄城門にするのは規模も第一段階で足りるのでお手軽である。西川城は、居城・高田城よりも固い砦になりそうだ。

 

これに加えて高田―久世間の道を整備して、派兵しやすくしました。


※高田~久世の整備段階は3となった。

 


 

それから半年ほどが経ち、1572年3月。浦上家との停戦期限が残りひと月となりました。


※間違い探し

この月、貞盛が改修していた鉄城門が完成。西川城の守りが強化され、耐久値は5000になります。これなら早々に落とされることはなさそうです。

西川城の備えはある程度ととのいましたが、侵攻にそなえて武将の再配置を行います。

 

高田城を攻められる場合も考えなければなりません。高田城は浦上領からは遠いので攻めにくいですが、いざとなれば狙われそうにも思えます。

もっとも攻められそうにないのは備中松山城です。耐久値が7500と最も高く、さらに毛利領を越えなければたどり着けない位置にあるからです。


※家紋の上に軍配のあるのが高田城。その東にあるのが西川城、南西にあるのが備中松山城である。

少し考え、備中松山城にいた中村則治を高田城に呼び寄せるなどしました。


※則治は武将としての能力はかなり低いが、戦法“離間”をもつので、籠城戦では切り札になる可能性を秘めている雰囲気があるが、そうでもないかもしれない。

 

そして翌4月。ついに浦上家との停戦期間が終了しました。

 


 

この月、西川城代・石川式が100の兵で両宮山に物見に出陣。様子を伺います。

月半ばになっても浦上家から動きはありませんが、三浦貞広は先手をとって出陣。高田の兵を率いて、みずから西川城に向かいます。


※高田城から出陣する三浦貞広

しかし、その後も浦上宗景は動きません。そのため、貞広隊は高田城の東、久世に駐留した後に、そのまま帰城しました。

 

しばらく様子を伺いますが、鉄城門の備えが効いたのか、攻めてくる気配はありません。

そこで、次の行動に出ます。

美作の主城、津山城の攻略を目指します。その城代・後藤勝元は浦上家に不満をいだいていました。その勝元に調略をしかけます。不戦の密約を狙っての”密談”です。


※叛心が40を超えると、停戦をもちかけることができる。勝元が停戦した隙を突いて、一気に津山城を攻略してしまいたい。

ただし、三浦家は勢力規模が小さいために密談の効果は高くありません。一ヶ月に見込める叛心の上昇は”2”。このままでは不戦までに20ヶ月かけて密談を続けることになるので、どこかに築城をして勢力拡大を考えます。

 


 

1571年10月。後藤勝元との密談を進めていましたが、状況が変わります。

 

後藤勝元は浦上家から離反。浦上家から赤松家に従属している播磨・別所家へと鞍替えしました。


※まさかの謀反。別所家の所領は、浦上家の東にある赤松家よりも更に東である。後藤勝元は美作に孤立したのであった。

 

同月、別所家の当主・別所安治が死去。新たに当主となった別所長治は津山城に入城します。こうして津山城は別所家の居城となったのです。


※なんともいえない展開に。貞広としては、勝元に不戦をもちかけるあてが外れた形になってしまったのだった。

 

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【三浦貞広の野望2】その2」への2件のフィードバック

  1. セッサイ

    木坂様
    今年も更新お疲れさまでした。今年はこちらを見つけることができて、楽しみが増えた一年でした。
    いろいろご苦労もあるかと思いますが、ゆっくり無理なく続けてください。
    来年も楽しみにしています。
    そしてまずは、ミウラケサイコウを!

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >セッサイさん
      コメントありがとうございます! もう年が明けてしまいましたね。

      「三浦貞広の野望」の更新はゆっくりとしたペースですが、完結までおつき合いいただければ嬉しいです。
      昨年はおつき合いいただき、ありがとうございました! 今年もどうぞよろしくお願いいたしますmm

      温かいお言葉ありがとうございます! 励みになりました。

      返信

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