【本山家の野望】その6 夜明け

窪川城を攻め落とした本山茂宗はその足で中村御所まで攻め入り、これを落城しました。

ところで、一条攻めの前に長宗我部国親が家臣団に加わりましたが、反抗的な態度を示していてまだ信用はできません。

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かつての宿敵とは言えその能力は評価しているので、新たに得た窪川城を与えることで本山毛への忠誠を求めました。入城に際しては、その目付役として、吉松光久も同行させました。

その国親が茂宗に接触してきました。

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※吉田孝頼に続いて茂宗をそそのかす国親。それにしても、孝頼といい国親といい、本山家の宿将を差し置いて出しゃばり過ぎではなかろうか。

しかし、国親に言われるまでもありません。主城である中村御所を失った一条家は、宿毛城に籠もり命運はもはや風前の灯火。その火はここで消してしまいましょう。

一旦周辺の国人衆の懐柔を終えた後の、1552年10月、血気にはやる本山の兵は一気に宿毛城になだれ込み、宿毛城は陥落。かつて土佐をまとめていた土佐一条氏の歴史が幕を閉じ、本山家臣として生き残る道を歩むことになりました。まさに下克上。

motoyama_6_3※ 一条家を滅ぼし、名実ともに土佐一の豪族、もとい大名になった。

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※闘争に巻き込まれて新たに家臣となった一条房通は、関白にまで上り詰めた見事な麻呂である。

一条家の攻略が成り、一息つきたいところですが、翌月には北上し西園寺・ 宇都宮家へと進攻を続けます。四国統一のためには讃岐・阿波を支配している大大名・三好家との決戦は避けられません。一気に勢力を広げ、三好に対抗できる国力を得なければならないのです。

motoyama_6_5※本山家は占領と略奪を繰り返す、遊牧民のような戦国大名になった。

吉田孝頼の離反

茂宗が領土拡大を急ぎ、先陣を切っているさなか、吉田孝頼が突如として姿をくらませました。国親からの伝令によると、どうやら能島村上家へと寝返ったようです。普段から怪しげな言動が目立っていましたが、やはり、腹に一物あったということでしょう。これにより本山家は能島村上水軍を攻撃する口実を得たことにもなります。(ゲーム上では影響はありませんが。)

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吉田孝頼を失ったことで中村御所の奉行が不在になったため、急遽、宿毛城の開発を担当していた旧一条家家臣、土居宗珊を呼び寄せ、その後任としました。

中村御所で建設中だった農地の水路もほっぽり出して離反しましたが、建設費の金1000は戻ってきませんでした。恐らく吉田孝頼が持ちだして、手土産にでもしたのでしょう。さすが、利を士道とする老獪な男です。

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