【大崎義隆の野望】その7 春日山に鬼が舞う

1595年11月、大崎家・越後攻略軍が越後に到着。侵攻をはじめます。しかし、越後には徳川軍も集結しつつありました。

大崎家臣・四釜隆秀は虫川で大会戦を開いて勝利。ひとまず、徳川軍を一掃します。

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※数で押し切った。

 

越後攻略軍はその勢いで、越後・北条城、信濃・豊野城を攻略。大崎家の支配地域を広げていきました。

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※春日山城の周辺はあらかた落城。飯山城も間もなく落ちる。大崎軍の攻略は順調である。

 

攻略のあいだ、春日山城に所属する本多正信の叛心が40を超えました。その時点で正信に使者を出して、不戦の密約を取り付けます。

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さて、次に狙うのは攻略作戦の本丸、春日山城です。越後攻略軍が春日山城に近づくと、城下を守るために井伊直政が出陣しました。その副将は、不戦の約束をした本多正信です。本多正信の働きで当家と井伊直政隊は不戦となりました。

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※まさか、本当に出陣するとは。その兵力は8700。単独でも大軍だ。約束をとりつける使者を出すのが早すぎたので、停戦期間は1月しかない。

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※「義隆様との約束どおり、ここは戦わずにやり過ごすとするか」 城下でやり過ごすって無理があるような気がするが、どうやってやり過ごすつもりだろう……。やはり弁当だろうか。

 

春日山城には、越中から徳川の援軍が駆けつけます。春日山城の攻略を急ぐ越後攻略軍は、その援軍を相手に、攻略軍3448VS徳川軍1500で会戦を行いました。

当家は優勢。城を守る小田氏治をすばやく殲滅し、堅城・春日山城の耐久度をさげたいところです。実際、伊達成実の武勇の前に小田氏治はなすすべがありません。このまま会戦は勝利かに見えました。

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しかし、城門の後方から軍勢が迫ります。

井伊直政が停戦期間を終え、会戦に参加。さらに、越中からの援軍も参戦します。

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※ゲェッ

一方、当家も津軽為信、一栗高春隊が到着。敵の援軍の右隣に陣取りました。

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※「戦場に到着! これより、参戦いたす」 当家も援軍が来たはいいが、これで互いの兵力は大崎8941VS徳川11694となって逆転した。作戦は破綻した。

 

城門前を攻める伊達成実の後ろを突かれると、まずいことになりそうです。ひとまず小田氏治はおいておき、井伊直政の相手をします。成実はいったん城門前から兵を引きますが、そこを直政隊に狙われました。

井伊直政の副将・本多正信は、成実に向けて『詭計百出』を発動。更に、井伊直政が『赤鬼』でたたみかけます。

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※本多正信は詭計百出持ちの武将だった。だから副将になったのかもしれない。『詭計百出』の効果は前方の敵が大幅に弱化。無印ではこれがあれば大軍相手でもとりあえずなんとかなることが多かった。

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※『赤鬼』はわずかの間、乱戦、速度大幅強化と、こちらもやばそう。それにしても、なんという極悪コンボだろうか。殺る気マンマンである。

 

成実隊は、井伊直政の猛攻をうけて、さくりと壊滅。戦線から離脱しました。

城門前の四釜隆秀も壊滅寸前。ここは援軍の一栗高春、津軽為信が直政隊を何とかしなくてはなりません。ひとまず、一栗高春が斉射を発動して敵をけん制します。

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※斉射はごくまれに敵を混乱させることがある。そうなれば井伊直政も十分に倒せるはず。混乱のわずかな可能性に期待をこめて斉射を発動してみた。

 

ここで評定が始まるので、いったん会戦を中断、内政後に会戦を再開します。

 

ところが会戦を再開すると、当家の援軍の配置は仕切り直しとなっていました。援軍部隊は、城門からかなり離れた位置に陣取ります。

そして当家の援軍のさらに背後から、真田昌幸が敵の援軍として到着。

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※わざわざ元の場所に戻るとは、律儀。高春がせっかく斉射していたのに無駄撃ちになってしまった。そして城門前の隆秀はもう助かるまい。南無。

 

ひとまず、昌幸に狙われた高春が『鼓舞』を発動してしのぎます。その後、敵の援軍がぞくぞくと到着する中、どうにか昌幸を包囲。昌幸隊を退けますが、こんどは城門側から井伊直政が迫ってきました。

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※高春、絶体絶命。

 

直政は大崎軍を確認するや、『赤鬼』を発動。高春隊に襲いかかり、高春隊は壊滅しました。

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※見事に蹂躙された

 

ここでいったん会戦を中断、味方部隊の到着を待って、会戦を再開します。ここで南条隆信、水谷胤重らが参戦。

その後、津軽為信らが直政の突撃を受けて壊滅。当家の部隊はかなりの苦戦を強いられましたが、最後は南条隆信がほぼ相打ちになりながら、ついに直政隊を四散させます。

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※南条隆信も井伊直政の強さに身震い。これから先、こんな武将たちを相手にしなければならないのである。

その間、当家・亘理元宗らが到着。敵方にも榊原康政が援軍として参戦しますが、数で押し切り、どうにか会戦に勝利しました。

しかし、徳川軍16000を相手に、30000を動員した越後攻略軍の兵力は激減しました。会戦が終わったあとでは、およそ8000となってしまいました。

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※勝利。

 

 

そして戦場の南では、甲斐から本多忠勝11000の兵をはじめとする徳川の軍勢が出陣。越後へと進軍を始めていました。

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