【大崎義隆の野望】その6 越後を獲る

1595年4月、信濃・上野城が落城。大崎義隆は信濃の地に軍団を新設。伊達政宗が軍団長となりました。

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※常陸からの国替である。飛び地の軍団なので、いざとなったら北条家に助けてもらうしかない。過酷な環境。

 

今後は信濃・奥州方面から挟みこむように越後へと侵攻し、最終的には春日山城を攻略、北陸の支配を強めて徳川家の動きをけん制したいところです。

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※春日山城は西から越後への入り口で耐久11500もある。要所だが、越後は上杉家の勢力がいまだ強いので攻略しても旨みはあまりない。なんとも旨みがない場所ばかり攻略している。

 

さて、信濃で伊達政宗軍団を新設していたころ、越後に動きがありました。最上家が与板城への攻撃を始めたのです。

上杉家の援軍として栃尾城に駐留していた遠藤盛胤は、その隙を突いて与板城の南西にある北条城の攻略に乗りだします。

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※この援軍は、援軍期間が終了してもずっと栃尾城下で飯炊きをしていた。この好機が訪れたことで、無駄飯とはならないはず。ちなみに遠藤盛胤隊と一緒に、泉田胤清隊もいる。

 

同時に米沢城から片倉小十郎が柿崎城を目指して出陣。越後の城を、まず一つ落とし、春日山城攻略のあしがかりを作りたいところです。

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※位置は、画像中央が最上が包囲している与板城、その左下が北条城、左端が柿崎城で、その先には春日山城がある。

 

しかし、春日山城からの援軍にはばまれて、北条城の攻略は失敗してしまいました。一方、最上家は与板城の攻略に成功します。

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※ちょっと目を離していたら壊滅寸前になっていた。そして敵の援軍6600はさすがに相手にできないので撤退。しかし、柿崎城が本命なのでとりあえずよしとした。

 

その後、片倉小十郎が柿崎城へと侵攻。城門を破壊し、あと一歩で落城というところで敵の援軍が到着。結局、こちらも攻略に失敗してしまいます。小十郎はいったん最上領となった与板城まで退却。機をうかがいます。

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※援軍来すぎである。

 

ここで、義隆は越後侵攻軍を編成。越後攻略に本腰を入れることとしました。まずは城門が壊れている柿崎城の攻略をねらいます。ただ、柿崎城には敵兵が集まっているので、このままでは攻略は困難です。

しかし大崎義隆は反・徳川連合の盟主です。ここで盟主特権を使い、上杉家に北条城の攻略を指示。これは柿崎城の守備兵をおびき出すための陽動作戦です。

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※「お任せくだされ 必ずや目標を陥落させてみせましょう」

 

ちょうど同じころに北条家が坂戸城へと侵攻。徳川家の軍勢は防衛に兵力を割かれて、柿崎城は空となりました。さっそく侵攻軍は柿崎城へと向かいます。

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※北条家が攻めている坂戸城は、北条城の南、画像中央下である。北条家は良い仕事をしてくれる。

1595年7月、柿崎城は落城しました。

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※「ふふ……柿崎城も、この小十郎の手に落ちましたか」

 

この勢いで春日山城も攻略したいところですが、春日山城は堅城。兵も多く、しかも、城を守る井伊直政は名将です。簡単に落ちそうにありません。

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※一見するとゆるキャラの兜っぽい。でも、それは直政の息子の直孝の兜らしいです。

 

そこで、義隆は内部からの切り崩しをこころみました。春日山城内で不満を抱いている本多正信に片倉小十郎を派遣し、徳川家への叛心を高めます。4ヶ月後には停戦を申し込むことができそうです。

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※本多正信は戦闘能力が高くないため大将として出陣することはなさそうだ。もし戦の時に出陣しなければ無駄足である。知謀は直政よりも高いので、戦の際はなんとか副将として出陣してほしいものだ。

 

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