1594年7月。連合の結成直後に、大崎義隆は上杉家当主・上杉景勝から栃尾城の救援を要請されます。栃尾城は徳川家に攻められ、危うい状況となっていました。
大崎義隆はこれを受けて、岩代・黒川城から遠藤盛胤、兵2500の救援を出します。
※大崎家は米がなく極貧だが、一応盟主なので要請は受けなければなるまい。そういう見栄というか誇りみたいなものは一人前なのである。
※援軍は越後山脈をこえる必要があり、行軍もけっこう大変である。
ところが、進軍の途中、どういうわけか、徳川は栃尾城から兵を引きはじめます。そのまま徳川軍は撤退。結局、この戦では大崎軍と徳川軍が衝突することはありませんでした。援軍として出陣した兵は、警戒のため、とりあえず栃尾城に駐留します。
※これはこれで寂しいものだ。しかし、栃尾城の北にある与板城は落城してしまったようで、上杉家の窮状には変わりない。そして家康隊の副将には二人の甘粕。なんとも。
徳川軍が撤退した原因は、北条家が沼田城を攻めていたからでした。
※北条家は連合結成とほぼ同時に徳川領に出陣したようだ。非常に行動が早く、当家としてはとても助かる。
徳川家はその後も栃尾城に侵攻することはなく、栃尾城は守りきられました。大崎家の援軍は成功です。上杉景勝からは感謝の言葉が届きました。
※「見事な戦いぶり……予想をこえておりましたよ」 って、抑止力にはなったかもしれないが、大崎軍は栃尾城でご飯を食べていたわけで戦っていたわけではない。しかし、上杉景勝は大真面目である。さすが義の国(?)
さて、9月には大崎領内で収穫があり、米が手にはいりました。困窮していた大崎家も、ようやく兵を出すことができるようなります。今後の戦略を考えければなりません。
できれば徳川領を攻めたいところですが、その力をあなどることはできません。当家はひとまず、徳川家に従属している安房の里見家を攻略して、戦力の充実を狙うことにしました。里見家の城は久留里城と館山城。どちらも堅城ですが、兵力差で押し切りたいところです。
※安房は房総半島の端なので戦況にはそれほど影響しなそうだが、10000の兵力を抱えているのは魅力的である。
さっそく陸前から遠征軍を派遣、一路関東へ向かいます。
ところが、思わぬことに気が付きました。常陸の伊達政宗軍団に攻略の指示を出そうとしますが、北条家をはさんでいるからか、里見家を攻略対象にすることができません。
※「支配国の隣接国でないため選択できません」 軍団の攻略目標は、連合国を超えられないらしい。安房は北条領に囲まれている。ということは、安房に軍団を作っても、徳川家を攻略対象にできないということである。安房を攻略しても、うまみはないか……。
また、この時、沼田城で行われていた北条・徳川の合戦が思った以上に激化。 徳川家の目は沼田城に向いていて、その防衛のために徳川領・信濃の周辺は兵力が不足しています。
大崎侵攻軍も勢いあまって関東まで来てしまったので、いま里見家をさしおいて攻略するならこの信濃です。
※信濃の城は耐久値がやたら高いのに開発値は低いという特徴があるのであまり旨味はないが、仕方ない。
ただ、信濃の南、甲斐の新府城にはおよそ5000の兵がおり、もし援軍が来るとすれば、それを率いるのは新府城主となっている本多忠勝。戦となれば、相応の被害を覚悟しなくてはなりません。
※仮に本多忠勝を知らない人でもこの顔を見ればヤバさが分かるだろう。彼は戦国時代きっての猛者なのだ。
悩ましいところですが、侵攻軍は進路を変更。徳川領、信濃・上田城、小諸城の攻略を行うことにしました。ここを攻略し、対徳川の拠点としたいところです。
進軍は順調にすすみ南条隆信らが上田城に到達。攻城会戦を展開し、城下を守る甘粕景持を蹴散らします。
※兵力は相手の方が多く見えるが、国人衆で水増ししているだけ。会戦には勝利した。
徳川家から援軍も来ましたが、幸いにして本多忠勝が出陣することはありませんでした。かわりに援軍にきたのは、富士吉田城主になっていた千坂景親です。大崎軍はその援軍を小諸城の手前、小田井で挟撃。一栗高春、相馬盛胤が奮戦して侵攻をはばみます。
※本多忠勝でなくてよかった……。目標は上田城だが、放置すると進行ルート上の小諸城でも合戦がおきてしまう。
援軍をはばまれた小諸城は大崎軍の猛攻に耐え切れずに降伏。大崎家は徳川領の切り取りに成功し、攻略拠点を得ることに成功したのです。
※「小諸城は我らに降るとのこと この戦は、我らの勝ちのようですな」
いつも楽しく拝見させて頂いております。
続きが楽しみなので今後とも更新頑張ってください!!
コメントありがとうございます。読んでいただいてありがとうございます^_^
更新しない日もありますが、できるだけ頑張ります! ちなみに、今日は更新しないと思います。。応援いただき、ありがとうございますmm