【大崎義隆の野望】その4

1594年6月、大崎家は田村家に従属を要求。

田村清顕は孤立しながらも三春城をよく守り独立を保ってきましたが、ついに大崎家に屈しました。

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※三春城は、耐久が5000もある。攻略が面倒なので今まで放置してきた。

 

 

さて、常陸の攻略を成功した当主・大崎義隆は小田城に入城。旧佐竹家臣を登用します。

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※もちろん、旧佐竹家臣の忠誠値は真っ赤。露骨に敵意をむき出しにしており、義隆に従うものは居ない。小田城内で何が起きてもおかしくはない。

また、新たに領地となった常陸は直轄範囲外なのでとりあえず伊達政宗に一帯の支配を任せ、安定をはかります。

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※政宗もようやく軍団らしい軍団が手に入った。でも忠誠は黄色信号のまま。

当家は北条家が攻め入る前に、佐竹領の全てを攻略しました。大崎家の常陸侵攻は成功といえます。

 

一方、外交面では大崎家は徳川家と敵対することになりました。その徳川家は越後へと兵を進めています。侵攻は順調にすすみ、越後の上杉家も滅亡寸前。徳川家はすぐにも越後山脈をはさんで、当家と隣接しそうです。

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※気がつくと、春日山城はとっくに落城していた。徳川家の勢いはすごい。

 

そして同月、北条家当主・北条氏直が死去しました。新たな当主には、隠居の北条氏政が返り咲きます。これにより、北条家と徳川家の婚姻同盟が解消されました。

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※せっかく隠居したのに、結局また当主になった北条氏政。

 

これから、様々な展開が考えられます。当家の進むべき道はどれか。義隆は今後の方針について、ある決断を下します。

それは、反徳川連合の結成です。北条家をさしおいて先に徳川家を叩く攻略方針の転換をはかります。徳川家の兵力は当家の2倍以上ですが、北条家をこの連合に誘い入れることで徳川家との兵力は拮抗します。

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※徳川家の兵力、136359。このとき、大崎家の兵力は50251。北条家の兵力は77612である。

 

この連合には、いくつか狙いがあります。第一の狙いは徳川家の弱体化ですが、第二の狙いは豊臣家の侵攻を遅らせることです。

連合が結成されれば豊臣家は親徳川の立場をとると考えられます。徳川家との同盟期間がまだ5ヶ月残されているからです。そうなると、豊臣家は徳川領にはばまれて、少なくとも連合の期間である36ヶ月間は東へ進むことは無くなります。

また、激化する豊臣家と中国・四国勢力との争いも、諸勢力が親徳川連合につけば鎮火します。逆に反徳川連合に加盟すれば、連携して豊臣家に立ち向かえます。うまくいけば豊臣家は身動きが取れなくなる……かもしれません。

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※四国への侵攻もつつがなく行われておるよ。

 

大崎義隆は、北条家をはじめとする各勢力へと反徳川連合の結成を呼びかけます。

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※勧誘勢力は北条家、上杉家、最上家、田村家である。

 

翌月1594年7月、勧誘した勢力は大崎義隆の呼びかけに応じて、ぞくぞくと連合への参加を表明。ここに大崎家を盟主とした反徳川連合は結成されました。

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※「うむ! 我らは大崎殿を盟主として徳川家を討つ!」

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※「1594年7月、大崎家を盟主として 徳川家の打倒を目指す 反徳川連合が結成されました」暗雲を払いのける一手となるか。あるいは。

 

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