【大崎家の野望】その8 大崎義隆、出陣

1590年7月、大崎家は伊達家との戦の最中ですが、最上家との停戦期間が残りひと月となりました。

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ここで一旦、情勢を確認します。現在、大崎家の兵力は、5697。当家と敵対する各勢力の兵力は以下のとおり。

  • 伊達:7120
  • 最上:8109
  • 南部:8361

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※戦には勝ったものの、伊達家の兵力は当家よりも多い。最上・伊達の連合を相手にするには、現状の兵力では足りない。

 

(一応)友好勢力は以下のとおりです。

  • 蘆名:10117
  • 上杉:16156

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※蘆名家とは12ヶ月の同盟を結んだ。上杉家とは援軍の要請によって停戦状態だが、もう信頼を消費して援軍は期待できない。蘆名家への援軍の要請は、現状では下手をすると伊達領をとられかねないので控えた。

ここは国内の情勢が落ち着き、兵力が回復するまで待ってから伊達家の攻略にあたることとしました。その間、政策・合議制を中止し、開発に注力します。

 

このころ、外交面で動きがありました。最上家は長いこと当家に対して敵対路線をとってきました。しかし、戦が終わり、なぜか姿勢が”敵対”から”普通”へと軟化。当家は収入が安定してきたこともあって、最上家と改めて友好関係を築くことにしました。

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※雨降って地固まる。何にせよ、次の伊達家との戦にそなえて敵は少なくしたい。

また、蘆名との外交も続行、朝廷への工作も行います。

 

そして5ヶ月がたちました。大崎領内での開発は進み、兵力は伊達家をしのぐほどになりました。そろそろ伊達領攻略の準備をするため、ふたたび合議制を採用して国人衆の支持を集めます。

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※しかし、合議制になったりやめたり、家中で混乱が起きそうなものだなぁ。

 

その翌月、1591年3月中旬。奥州の各勢力は一気に動き出します。

まず、蘆名家が田村家への攻略を開始。北の南部家は羽後の安藤家と戦を始めました。

そして、伊達家は相馬領・小高城への攻撃を開始します。伊達家は領内のほとんどの兵を動員しての侵攻です。伊達の総力は相馬領・小高城へと集まりました。

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※思ったより早い展開となった。合議制は国人衆の兵力の最大値だけ上がる。国人衆の兵力はあまり回復しておらず、効果は十分ではない。採用をもう少し早くするべきだったが、仕方ない。

 

この動きを見逃すわけにはいきません。当家は伊達領の攻略を目指して侵攻を開始します。

しかし、他家から横槍を入れられると厄介です。この時、蘆名家・最上家への外交工作がみのり、両家と同盟を結ぶほどの信用を得ていました。早速、両家に同盟の使者を出し、同盟を結びました。

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※昨日の敵は今日の友。

 

当家は当主・大崎義隆を総大将とした11500の兵が出陣。伊達領・亘理城、丸森城へと攻めこみます。そのうち、柏山明久1500の部隊は背後にある杉目城攻略を狙う別働隊としました。

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※当主・大崎義隆が自ら出陣する。義隆は伊達政宗と雌雄を決する覚悟である。

しかし攻略の途中、丸森城へと進軍する柏山明長が急遽弁当を食べ始め、戦を放棄。どうも、伊達家との間に密約が交わされていたようです。

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※「柏山明長殿が動きませぬ 弁当を食べているとのこと」 よほどうまいらしい。一体どんな弁当なんだ……。

 

大崎家の侵攻を受けて、伊達軍は領内へと引き返します。大崎・伊達、両軍は亘理城、丸森城下で向き合いました。

伊達軍は相馬家との合戦により、兵力を消耗してします。大崎義隆は、奥州の覇権をかけて大会戦で決着をつけることを決めました。(大崎軍11821VS伊達軍7852)

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大崎軍と伊達軍は山を挟んで対峙。船岡の地で二つの野心がぶつかり合います。

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