【大崎家の野望】その7 第二次利府城攻略戦

1590年1月、大崎家は利府城の攻略を開始。南条隆信隊を中心とした主力部隊が利府城へと侵攻しました。

一方、一栗高春隊は陽動を行い、利府城を守る伊達成実を小泉城へと誘い出すことに成功します。

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その上で、主力部隊は利府城下の守備隊を挟撃。攻城会戦を展開して守備隊を一掃しました。

大崎軍が利府城の包囲を開始すると、小泉城下を守っていた伊達成実が利府城へと反転。大崎軍へと向かってきました。さらに遠方を見ると、どうも最上家が不穏な動きを見せています。

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※画像左側に最上家当主、最上義光の軍勢が見える。単なる警戒の兵ならいいが……。

 

大崎軍の大将・南条隆信は伊達成実を相手とした大崎5300VS伊達2500の会戦を決定。その城下で一気に勝負をつけることにしました。

猛将・伊達成実を警戒する大崎軍は、左方に布陣した亘理重宗を成実の後方へと回りこませ、右方の主力部隊とで挟撃する作戦をとりました。

しかし城門に気をとられた亘理隊は成実隊に背を向けます。そこを成実に突かれて一気に兵力が減少。挟撃は失敗しました。

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大崎軍は伊達成実の攻撃をモロにくらい、散々に苦しめられました。この会戦は一応制しますが、南条隆信隊は壊滅。かなりの損害を受けてしまいました。

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※こちらの兵力が700しか残らない、無様な采配となった。しかし、敵の主力である成実隊を撃破したことは大きい。ということにした。

 


 

その頃、北方でも動きがありました。この戦に乗じて領土拡大を狙う南部家が、大崎領・胆沢城にむけ1000の兵を出陣したのです。胆沢城主・柏山明長は守備隊を城下に配し、これを迎え撃ちます。

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※柏山明長「我らの胆沢城を目指し 総勢1000の敵が攻め寄せております!」次から次へと。難儀である。

大崎家は領内に残るわずかな兵をかき集めて援軍として派遣し、奮闘。胆沢城を何とか守り切りました。

 

さて、利府城では小泉城へ陽動をしていた一栗高春が利府城の包囲に加わり、そこに国人衆、黒川晴氏もかけつけました。これにより利府城の包囲軍はおよそ3000となりました。

しかし、そこに不穏な動きのあった最上家の軍勢が到着します。最上の軍勢は、やはり利府城への援軍でした。その兵力はおよそ4000。伊達成実との会戦で傷ついた大崎軍では勝ち目はありません。

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そこで、大崎義隆は公家に和解の仲介を請願。大崎家は最上家と一旦和解しました。

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※いつもの麻呂様。

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※最上家と和解した結果、最上軍が邪魔で伊達家の援軍が利府城にたどりつけないという 間抜けな状態になった。援軍を率いる鬼庭綱元はちょっと悔しそうな表情である。

 

1590年3月。大崎軍の激しい強行の末に利府城はついに落城しました。

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※一栗高春「この高春が利府城を攻め落としてみせたぞ!」 高春の華麗な落城アピールである。

利府城には攻略に参加していた四釜隆秀が入城、その兵力で、利府城の脇にある小泉城攻めを開始します。

 

小泉城攻略のさなか、佐竹家から伊達家との停戦を要求する使者が到着。しかし、義隆はその要求を飲みませんでした。

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※佐竹義重「伊達家との戦を今すぐやめよ 聞かぬのであれば、覚悟していただく」 儂には何を覚悟すればよいのか、さっぱりわからんなぁ……。

 

小泉城は落城。1590年6月。陸前一帯は大崎家の支配下におかれることとなりました。

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※ようやくここまできた……。

 

この戦の勝利をきっかけに、大崎義隆は特性”根気”を会得しました。

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※義隆「新たに『根気』を修得したぞ この力で、天下を目指す!」

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