【大崎家の野望】その4 戦の終結

中新田城の戦いも終盤にさしかかりました。

oosaki1_4_1_2

 

さて、城門前では一栗高春が櫓をはさんで伊達政宗と対峙していますが、その櫓もすぐに破壊されます。周囲の櫓はほとんど破壊されており、そのまま戦っても勝ち目はありません。

しかし、西側には手付かずの柵と櫓が残っています。そこまで伊達政宗を誘い込み、援軍の南条隆信と合流して政宗を挟撃すれば、あるいは勝機もあるかもしれません。なんとか誘導したいところです。高春は望みを賭け、西側へと向かいます。

 

ところが、誘導の途中で伊達政宗がふたたび独眼突撃を発動。

 

oosaki1_3_b_2
※この独眼を見たものは……死ぬぜ……

 

一栗高春は奥州最強武将の突撃にさらされることとなりました。この突撃に対して、高春は鼓舞を発動して守備力の強化をこころみます。

oosaki1_4_3
※貴様ら!  祖父、放牛の死を無駄にするな!(?)

 

そして高春隊は

oosaki1_4_4

oosaki1_4_5
※ぬわーっ

oosaki1_4_8

どうにか独眼突撃を耐えぬきました。

 

九死に一生を得た高春は、中新田城最後の櫓へと政宗を誘い込むことに成功します。

しかし高春と合流するために進行中だった南条隆信が政宗と接近しすぎたため、狙われて壊滅。ここで痛恨の作戦ミスが起きてしまいました。

oosaki1_4_11
※南条隆信は神業を見せずに、政宗の目を高春からちょろっとそらせるという戦果で撤退。これで伊達政宗を全滅することは、ほぼ不可能となってしまう。

 

隆信と合流できなかった高春は、政宗の攻撃を受けて壊滅。大崎軍は全滅しました。会戦は敗北です。しかし、最終的に政宗の兵力は433まで減少しました。

oosaki1_4_13
※さすがは独眼竜……。

 

政宗は寡兵ながらも中新田城の攻略をあきらめず、城門への強行を開始。大崎家はその脅威を排除するために、佐沼城から一栗放牛が100の兵をひきいて出陣、それに合わせて名生城から南条隆信が100の兵で出陣します。

oosaki1_4_16
※なんと、放牛は生きていた!

 

挟撃を受けた政宗はついに中新田城をあきらめ、撤退を決断。米沢城へと退却しました。

oosaki1_4_19
※ようやく伊達政宗を撃退することに成功した。……ま、まぁ、本気になった大崎義隆の前では政宗などはこの程度ということだ……独眼竜を討ちそこなっちゃって残念だわー(ガクガク)

 

こうして1587年4月。4ヶ月に及ぶ葛西・伊達家との攻防は、いったんの終結をむかえたのです。大崎家は泥臭い戦の中、満身創痍の状態になりながらも、新たに佐沼城を得ました。

しかし、あの伊達家や最上家がこの程度で諦めるのだろうか。---そのようなことはあるまい。義隆は第二、第三の伊達政宗の予感に、ふとゲンナリしたのでした。

 


 

ところで、最上家の軍勢は葛西家・寺池城への援軍でした。最上義光隊は当家が寺池から撤退したことによって帰還しました。もし義光も伊達家と共同して中新田城へ進軍していたら、確実に落城していたことでしょう。つるかめつるかめ。

oosaki1_4_20

 

広告