【扇谷上杉家の野望】その11 憤怒

北条家との決戦を制した朝興は、ついに江戸城を攻略しました。

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※江戸城は炎上し、朝興は悲願を達成。そのまま入城した。

が、その後は小弓城の残兵や北条領内から集められた兵にはばまれ、侵攻がにぶります。

1540年8月、米と兵の消耗によって、扇谷上杉家は一度、軍を引きあげることにしました。

この戦で得られた領地は江戸城、小弓城、椎津城の支城3城です。残念ながら主城を落とすことができず、北条家に致命傷を与えるにはいたりませんでした。決戦を制したにしては、ちょっと物足りない戦果です。

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※大体この辺りの領地を手にした。

しかし、領地以外に得たものもありました。旧里見家臣の猛将・正木時茂が上杉家に投降したのです。さらに朝興は戦果の不足を補うように、捕らえた北条の将を切腹させます。

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※彼らは北条家を支える、北条戦隊ゴシキビジャーの一員である。多目忠信(ブラック)、富永直勝(ブルー)はこの戦により捕らえられ詰め腹を切らされた。残るは三将となってしまってかわいそうだが、今後は三人戦隊で頑張れ。

 

さて、今川家はこの戦において八王子城へ援軍を出すにとどめていましたが、今後の出方は心配です。今川家をけん制するため、扇谷上杉家は長尾家に接近します。長尾為景の娘・仙桃院を上杉朝定の嫁に迎え入れる婚姻同盟を結びました。

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※さすがにこの婚姻は無茶か、と思いきや、長尾家は当家の要求を飲んだ。略奪的な輿入れとなり、長尾家との力関係が示された。

しかし、これにより扇谷上杉家をとりまく、周辺勢力の関係が変わります。当家に対し、古河足利家は敵対の姿勢をとるようになり、山内上杉家は畏怖の念を抱きました。

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※まぁ、さして影響はないと思うが。気分はあまり良くない。

 

外交関係も気になりますが、当家としては、先の決戦で北条家が弱っているうちにできるかぎり領地を切り取りたいところです。八王子城と久留里城の攻略をはかります。しかし兵が足りないので、山内上杉家、古河足利家へと共同作戦の申し入れました。

しかし、両家は示し合わせたように一切の兵を出しません。北条を恐れてのことなのか、当家の肩を持つのを嫌ってのことなのか。あるいは出兵を躊躇しているだけかもしれませんが……。

結局、この攻略戦で、両家は援軍を出しませんでした。援軍を見込んでの作戦だったため、兵が足りず攻略戦は失敗。朝興は無念の撤退をします。

 

そして1541年3月。援軍要請に応えなかった山内上杉家、古河足利家は当家との外交を遮断。関係は断絶となり、扇谷上杉家との対立を決定づけました。

両家に対する朝興の怒りが燃え上がりますが、現在は援軍要請による停戦状態です。朝興は武力行使による上杉家統一を決意。その準備を始めます。

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※憲政! 散々この朝興をバカにしよって……。停戦が終わったら一気に攻め入ってくれるわ、覚悟せい!

 

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