【扇谷上杉家の野望】その9 関東動乱す

1539年12月、里見義堯の密告通り、北条家は扇谷上杉家へと侵攻を開始しました。

扇谷上杉家は河越城周辺に兵を集めます。その一部、太田資正らは膝折の陣にて敵を待ち受けることにしました。

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※膝折は、資正の亡き兄、資顕が設営した陣である。ゲーム開始の当初に設営した陣を、こういう形で使うことになるのは感慨深い。

戦の途中で上杉朝興の嫡男・朝定が元服。

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※ようやく元服した。しかし、こんな時に元服とは。これで朝興が討ち死にしても扇谷上杉家は存続するので安心である。よかった(?)

朝定もこの戦に参加し、兵の士気を奮わせることになります。

 

さて、座していては勝ち目はありません。朝興は逆に攻勢に出て、長年の悲願である江戸城奪還を目指します。

そのために、朝興は佐竹義篤ら佐竹・常陸軍を江戸城へと向かわせます。さらに山内上杉家に江戸城攻撃の援軍を要請。一気に江戸城へと攻め上がろうとします。

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※義篤が率いる常陸軍は当家の主力級の部隊である。しかし、戦場まで遠い。

対する北条家は、北、西、南の三方から河越城へと兵を進めます。そのうち、南が主力のようです。北条家は西と北の部隊で河越城の挟撃を狙ってきますが、北の部隊を武蔵松山で抑えることに成功。敵の挟撃は失敗し、ひとまずは防衛に成功します。

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※挟撃されていたら危ないところだった。

一方、敵の主力部隊は膝折に到着し、両家は向き合いました。そこに山内上杉家の援軍も到着。合戦が始まります。

ところが、北条家は主力部隊を反転します。佐竹・常陸軍が江戸城に迫っていることに気づき、江戸城へと引き返したのです。

しかし、江戸城へと向かう佐竹・常陸軍の前に、北条綱成5000の兵が行く手を阻みます。こちらの兵力は7700。会戦を開き、綱成を打ち破りました。

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※江戸城を一気に攻略する覚悟なので、この際、邪魔な綱成には退場してもらった。南無。

 

山内上杉家の援軍にも助けられ、当家は敵の戦力を江戸城に押しこむことに成功しました。また、房総半島では当家・下総の部隊が小弓城への陽動を行っており、陽動に気を取られた北条の部隊は身動きがとれない状態です。

さらに、ここで里見義堯が上杉家と不戦。義堯はその辺をブラッとし始めます。これにより北条家の戦力バランスが崩壊。

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※呵呵……この瞬間は実に心地いい。義堯は鬱憤を晴らす時がきたのだ。存分にブラブラして欲しい。

ダメ押しで古河足利家へ小弓城攻略の援軍を要請します。北条家による河越城への侵攻で始まったこの戦は、いつの間にか侵攻と防衛の立場が逆転していました。

 

朝興は好機と見て江戸で北条との決戦---大会戦の開戦を決定します。当家がこの会戦に勝利すれば、江戸城奪還に一気に近づきます。

1540年3月、両軍は蕨の地で対峙。扇谷上杉家14226VS北条13489の、命運を賭けた戦いが幕を開けました。

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※上杉朝興と北条氏綱。果たして関東の覇者はどちらなのか、決着をつけようぞ。

 

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