---余録。
時を少しさかのぼり、房総半島の決着がついた1538年9月。朝興は壬生綱房に河越城下に呼び出されました。
※朝興「……」 朝興は耳が遠くなっているかもしれず、綱房の声が届いているかも怪しい。
※綱房「聞こえませぬな……これは城下の民が少なきゆえにございます」 民が少ないから? 人が居るように見えますが、本当にそうなのでしょうか?
朝興の返事が無いことを肯定ととらえて、綱房は一方的にしゃべり続けました。要は河越城の人を増やしましょうということで、朝興もこれに同意。戦国伝「人は石垣」が発生します。河越城の人口を増やすミッションです。
しかし、河越城にはすでに多くの領民がいます。発生の翌月、特に何の施策もないまま「人は石垣」は達成されました。やはり、単に爺様二人の耳が遠かっただけのことだったようです。
※綱房「殿、見てくだされ 城下に活気が出てきましたぞ」 ふたりともうれしそうで何より。でも、いい加減にしなさい。
こんな爺様たちが屋台骨の扇谷上杉家ですが、打倒北条を目指して国力の増強につとめます。
これまで米不足が発生することが多かったため、政策・灌漑整備を採用して石高を上げ、米の獲得を目指します。施策は成功し、扇谷上杉家の石高は一気に向上。1539年9月には、前年比80%増しの40000を越える収穫がありました。
米バブルに朝興は気分が良くなり、その米を売却した金を元手にして官位を獲得します。
(余計なことをしましたが)これで合戦のための米が揃いました。
さて、米の収穫が終わるころ、里見義堯から北条が当家への進軍を準備しているとの密書を受け取りました。
今まで、1年ほど北条家は沈黙を保ってきました。しかし、北条との決戦となった時にそなえて、この段階で北条家と扇谷上杉家の戦力の比較をします。
勢力の比較
※扇谷上杉家。兵力は25792。武田家(兵力11449)、山内上杉家(兵力7698)に援軍を要請する用意がある。古河足利家(兵力4900)にも、もう少しで援軍を送ってもらえる。各勢力との外交関係を利用して北条に対抗したい。今川家とは前回のヘマにより断絶状態である。
※北条家。兵力は36660で、当家とは1万以上の差がある。今川家(兵力26988)と……驚いたことにいつの間にか武田家との同盟をしている。この時すでに、簡単な甲相駿三国同盟が成立してしまっていたのだ。
北条家が武田家と手を組んだことにより、武田家への援軍は望めなくなってしまいました。また、北方の脅威がなくなったことにより、北条の進軍に支障がなくなります。
しかし一見、両家の間には結構な差があるように見えますが、上杉家が連合すれば兵力差はそれほど大きくはありません。後は今川義元の出方次第です。
武将の比較
扇谷上杉家
※青竹。すくすくと成長しておりその実力は家臣団の中でもトップである。
※太田資正は家中を安定させるために上杉夢を輿入れして一門に加えた。現在は本拠・河越城を任せている。
北条家
※北条家の家臣団。北条親子をはじめ、北条一族が統率上位を占めていて、強い。
※北条家当主・北条氏綱。能力値が高い上に、小田原城主である。戦の際に率いる兵力は、5000を超えてくるだろう。難敵である。
※里見家当主・里見義堯。北条家に無理やり臣従を強いられ、現在は三崎城主の身に甘んじている。当家と通じており、戦が始まったら停戦交渉に入ることができる。最近では氏綱が泡食った、その光景だけを日々の楽しみにしている。
比較してみた結果、将の能力差がかなりあり、今川家の介入があると……戦となると厳しいかもしれません。できれば、もう少し勢力を伸ばす時間が欲しいところです。里見義堯の密書が誤報であったことを願います。
しかし、朝興のその願いもむなしく、1539年12月、北条家が動きます。
※「我らの河越城を目指し 総勢27000の敵が攻め寄せてくるとのこと」
ついに上杉と北条の戦が始まりました。