扇谷上杉家では上杉朝興の娘・夢が髪結いを終えました。
※上杉夢は美しく育った。名だたる将を手玉に取って上杉家に引き込み、その礎とするのじゃ!
さて、めでたい儀の裏で、扇谷上杉家は河越城、小田城、2つの拠点が攻撃にさらされ、難しい局面を迎えています。
小田城では、上杉朝興が自ら500の兵を率いて出陣しました。さらに宮城政業が500の兵を引きつれて、救援に駆けつけます。山内上杉の援軍が到着するまで耐え抜けば何とかなるかもしれません。朝興はハイエナのような佐竹・宇都宮から領民を守るため、小田を枕とする覚悟です。
※劣勢である。しかも朝興が斬首されると扇谷上杉家は断絶というスリリングな状況。
1535年5月。ついに当家と宇都宮・佐竹の侵攻軍との戦いが始まりました。
数におとる扇谷上杉軍1000の守備隊は、宇都宮軍800の兵を相手に防衛会戦をしかけます。敵の援軍が到着する前に、各個撃破する作戦です。
扇谷上杉軍は慎重に兵を進めますが、それがあだとなって敵方・益子勝清の騎馬突撃を受けてしまいます。
この会戦では何とか勝利をおさめますが、朝興の兵は全滅。小田城の守備兵は息もたえだえとなりました。頼みの山内上杉家の援軍は間に合いそうもありません。
---同じころ、河越城でも北条との戦が始まろうとしていました。兵力は、当家1400に対して北条1000。負ける戦ではありません。
しかし、敵の軍勢に黒い影が刺します。どこからともなく、風魔衆の手勢1200が援軍として参上。これにより、我が方が優勢だった戦力は一気に逆転してしまいました。
しかし、それでも我が河越城の耐久度は3000。敵も合戦で消耗するので、たとえ忍者といえども落城の心配はありません。
ところが、その算段は打ち砕かれました。小田原城に帰還途中だった北条氏綱3500の兵が突如として反転、再度、河越城へと兵を進めてきたのです。
小田原城の様子を見ると、北条の盟友・今川家が小田原城防衛に参加。その戦力で、小田原城を攻撃していた武田信虎は撃退されてしまったようです。氏綱は脅威が排除されたことで、安心して河越を攻められるというわけです。
こうなると、河越城の落城は必至となりました。当家はもはや、わずかな米もありません。これ以上の争いは疲弊するだけです。やむを得ず、朝廷を頼って北条家との和解を行いました。
※マロ様に頼り、和解せざるを得なかった。当家の敗北である。北条家の恐ろしさを再確認した。
そして小田城では守備兵が全滅。三方敵だらけの状態になり、落城寸前です。
ここにいたって、朝興は小田城の放棄を決断しました。小田城に所属する武将を全て、小金城へと移動します。
※一応、北西から山内上杉家の援軍が来ているが、兵力は500。佐竹2000、宇都宮1200の兵を相手にすることはできない。残された小田の領民? まぁ、うまくやるんじゃないかのう……。