【扇谷上杉家の野望】その2 北条と相対す

上杉軍は対佐竹軍との会戦を行い、小田家の本拠・小田城の城門前で防衛を担います。上杉朝興は佐竹義篤を待ち受けるために櫓へと近づきますが---。櫓から、思わぬ攻撃を受けました。

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※左下では宮城政業が櫓の攻撃を受けて崩れてしまった。小田家は愚かにも、当家と敵対するつもりらしい。それにしても城門前は櫓に囲まれていて、身動きが取りづらい。城門前の布陣は、実は当家にとって不利な状況だったのだ。

 

しかも、小田家の櫓は佐竹への攻撃は行いません。一体、何が起きているのか。朝興が混乱する中、佐竹義篤との乱戦が始まります。

上杉軍は櫓から急いで離れますが、佐竹義篤は突撃を発動。体制を整える間もなく、当家・宮城政業隊は、あっというまに壊滅しました。

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※佐竹義篤隊が櫓の前に陣取っても、小田家は知らん顔である。図られたか。

しかし、朝興は義篤の隙を突いて側面から騎馬突撃を発動。なんとか撃破に成功しました。

 

会戦後。朝興はそのまま小田城の包囲を開始します。

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※「敵城を囲むのだ!」朝興、怒りの包囲。

そして1535年2月、小田城は落城。小田家は扇谷上杉家の庇護下に入ることとなりました。上杉の軍勢は、米をケチるためにそのまま小田城に入城します。

朝廷への工作も、残すところ3ヶ月。後は兵力の回復を待って、機を見て房総半島へと攻め入る算段です。

 

しかし、北条は黙っていませんでした。

1535年3月。北条家は扇谷上杉家の本拠・河越城を狙い、小田原城から3500、玉縄城から1000、計4500の兵を出兵しました。

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※小田家から参入した菅谷勝貞が報告。彼は優秀な将である。とか言っている場合ではない。ついに北条と衝突する時がきたのだ。

小田城攻めで思わぬ損失があった当家の兵力は、かき集めても1200。このままでは守り切ることができません。しかし、主城・河越城を失えば当家はかなり苦しい状況におちいります。なんとしても防衛しなくてはなりません。

急ぎ、武田家へと援軍を要請。小田原城を突いてもらいます。小田原急襲の報せを受ければ、小田原城から出陣した敵の主力、3500の兵は防衛のために帰還するかもしれません。

また、かき集めた1200の兵を膝折(設営レベル3)に待機させ侵攻に備えます。しかし、北条氏綱が率いる3500の兵を防ぎきるのは難しいでしょう。

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※氏綱は強い。そんな氏綱が3500もの兵を率いているのである。一体どうやって戦えばいいのか。

ちょうどこの頃、朝廷への工作は残り1ヶ月となりました。この1ヶ月間、北条の攻撃を防ぎきれば朝廷に和睦を仲介してもらえます。北条はまだ河越城に到達しておらず、さすがにその状況から1ヶ月で河越城を攻略することはできません。

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※時期尚早の和解になってしまうが、やむを得ない。しかし河越城は守れる。ひとまず、胸をなでおろした。

5月。膝折にて合戦が始まろうとした時、氏綱隊は小田原へと反転。どうやら、武田の兵が間に合ったようです。これで、河越城へ迫る兵は1000程度。当家は少し増えて1400を用意できました。その兵で河越城を防衛できれば、北条との和解は先送りにしてもよさそうです。

しかし、まさにその時、別の伝令が駆けつけました。

小田城へ、敵が進軍中。

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※小田城なんて取っても良いことないよ! 帰れ!

どうやら、宇都宮家が出兵してきたようです。ただちに山内上杉家へ防衛の援軍を要請。しかし山内上杉は小田城まで遠く、当家が小田城の防衛に使える兵は1000程度です。かなり厳しい状況です。

さらに追い打ちを掛けるように、別の敵が小田城に向けておよそ2000の兵を出陣したという報告を受けます。

その兵を率いるのは、雪辱に燃える佐竹家16代当主・佐竹義篤でした。

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