【扇谷上杉家の野望】その1 枯れゆく杉、怒りの萌芽

☆未読の方は、まずはプロローグを読んだほうがいいかもしれません。

1534年6月、関東の平定を目指す上杉朝興は、太田資顕の勧めにしたがい富国強兵の道を歩み始めました。

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※こんこんと朝興を諭す太田資顕。やはり国が富まなければこの乱世も生き延びることはできないのだなぁ。

 

が、実は当家は富国強兵どころではありません。北条家との緊張感が増している現在、まずは防衛に注力する必要があります。そのため、内政に割く余力が無いのです。北条の侵攻に備えて、江戸城と岩付城の間にある蕨、膝折にそれぞれ陣の設営を行うことにしました。

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※設営には500もの金がかかる。金500というと、当家の月収の70%ほどである。今まで設営はあまり使用したことがないのでその効果は未知数だが、だからこそ使ってみたかったところもある。

さらにプロローグで設定した方針通り、朝廷、各勢力への外交工作を始めます。加えて国人衆への懐柔を実行。当家は人員が不足しがちですが、ぶらついてた浪人・藤田康邦をとりたてて不足を補いました。

しかし、みるみるうちに金銭は溶けて開始から2ヶ月後には国庫は底をつきてしまいます。そこでやむを得ず、蔵の米を売却しました。

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※その財を防衛関連の費用に回した。世の中、金で回っているのである。朝興は毎月真っ赤な収支表を眺めては、ため息。正直、設営などしてる場合ではなかったか。

 

さて、9月になると、北条家に動きがありました。一気に緊張が高まります。

しかし、どうも当家を攻める様子はありません。北条家の軍勢は扇谷上杉領をスルーし、その西。山内上杉家の支城、八王子城へと向かいました。

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※扇谷上杉家、さっそく滅亡か。とおもいきや、八王子城への侵攻で助かった。

八王子城の防衛に甲斐の武田家が援軍を派遣しますが、当の山内上杉家は全くやる気がありません。領内からは一兵も出陣しないのです。しかし当家としては、八王子城が北条の支配下となるのは歓迎できません。八王子城は当家に攻め入る兵を出すのに丁度いい立地だからです。

朝興は本拠・河越城から1900の兵を率いて出陣。様子を伺うことにしました。もちろん、隙あらば防衛に参加する覚悟です。

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※「八王子城に向かうぞ!」

戦況を確認すると、どうやら北条の兵8000に対し、武田家は4000程度。残念ながら、これは我軍が加わったところで勝てる戦ではありません。八王子城は陥落したものとして諦めることにしました。

一方、東を見ると佐竹家が小田家の本拠・小田城を攻めていました。小田家は当家の盟友・古河足利家の従属勢力(訂正:同盟勢力)です。見ると、古河足利家の軍勢が小田城へと防衛の援軍を派遣していました。しかし、佐竹の兵を撃退することは難しそうです。

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※東側の情勢も、きな臭いものになってきたなぁ……。儂には関係ないけど……。

---ここでふと、朝興によからぬ考えが浮かびました。佐竹の侵攻軍は古河足利家との衝突で疲弊しています。そこで、小田家を救援するそぶりを見せて、どさくさで小田家を吸収してしまえば……。

さしたる被害もなく小田の家臣団と小田城を得ることができます。佐竹の侵攻を抑えることもできる妙案です(?) 早速、領内から対佐竹の兵を出陣。八王子城付近で物見をしていた河越の兵も反転し、小田城へと向かいます。

そして小田城にて佐竹家当主・佐竹義篤を挟撃。会戦を行いました。

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※呵呵、佐竹義篤! 往生せいや!

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※敵が城を包囲した状態で、小田家と関係のない当家が城の外から会戦を行うとどうなるのか? なんと、当家の兵が小田城の前に布陣したのだ! この小田城、朝興が佐竹義篤の魔の手から何としても防衛して見せよう。

 

 


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