【信長の野望・大志】秋月家の野望 その4 秋月の雌伏のとき ~厳島の戦いシナリオ~

―秋月家と少弐家の戦が進行中―

さて戦では多くの兵糧が消費されます。今作では特に米の価格が高く、序盤では米が不足しがちです。

大内の援軍を含める秋月軍の兵6700。行軍で月々に消費する米は3300にもなります。秋月領における年間米収入の6割です。備蓄はあっという間に溶けてしまいました。

城攻めの最中に米が尽きたとなれば目もあてられません。秋月家の国庫も寂しくなっていたので、ひとまず阿蘇家に兵糧4600の譲渡を求める使者を飛ばしていました。しばらくすると返答がかえってきます。

 

阿蘇家が求めたのは秋月家との同盟でした。


※物資を要求すると、色々な対価の要求がかえってくる。金、米、家宝などがあるが、この時は6ヶ月間の同盟。同盟が切れればまた同盟を条件に要求できるので、周辺国は米の供給地になっちまう。米が重要物資なだけあり、ゲームバランスを悪くする原因の1つである。

 

いまはとにかく米が足りません。この場では同盟を締結しました。ただこの条件での米の売買は続けるとゲームが面白くなくなるので、今後はこの条件では受けません。

さらに島津家からも金銭10200で5100ほどの米を購入。これでしばらくは兵を出せます。城攻めの準備をととのえることができました。

 

勢福寺城を攻略せよ

秋月軍は少弐家の本拠・勢福寺城を包囲中。落城を目指して敵の士気を下げてゆきます。城の士気は家紋を囲むようにある◯型の白いゲージです。徐々に黒くなり、白い部分がなくなると落城です。


※大志では前作と違い、城の耐久力より少ない兵数でも包囲するとゲージが減ってゆく。兵は減るが、『強行』で耐久値を減らすこともできる。耐久値0になると城門突破で士気が一気に減るようになり、さらに強行を続けて守備兵を0にしても攻略できる。

 

このゲージの減少率は、敵城主の統率、敵勢力の戦意などによって変わります。敵側の戦意が高いと、とても減りにくくなります。今回の場合は「勢福寺の戦い」で負けた少弐家は戦意が落ちているので、どうやら1ヶ月ほど包囲すれば攻略できそうです。

包囲を続けていると、少弐家から使者が到着。使者は秋月家との講和を求めるものでした。

 

やってきた講和の使者。その内容は

講和を受け入れると戦は終わりです。申しいれる場合も受けいれる場合も、条件はこちらから提示できません。今の仕様では交渉内容は相手まかせです。

講和には見返りがあります。しかし彼らが提案してきた講和の見返りは、わずかな金銭。

 

金1001の譲渡でした。


※我が秋月家も舐められたものだ。(金1000は秋月家の月収の4分の1以下)

 

ひどい条件ですが、これには思惑があったようです。というのも、このとき先の決戦で打ち破った大友家・戸次鑑連が、柳川城から兵を出していました。勢福寺城への援軍です。

 

あの戸次鑑連と戦いたくなければ、講和を受け入れろということなのです。

 

しかし、いくら雷神・戸次鑑連をちらつかせてもこの講和は受けいれられません。戦費を回収することすらできないので拒否一択です。

 

そして戸次鑑連が接近。両軍は前の決戦熱が冷めやらぬまま、勢福寺でふたたび決戦となります。「第二次勢福寺の戦い」です。

秋月文種はその軍勢を迎え撃ちます。勢福寺の包囲を解いて、決戦がはじまりました。

「第二次 勢福寺の戦い」


※秋月・大内VS少弐・大友(援軍)

 

 

 

勝ちました。


 

戦意が落ちると士気が落ちる

決戦の結果で変わる『戦意』は勢力に所属する兵の士気を左右します。戦意が落ちている場合、その勢力の兵士は士気があがりません。士気が低い部隊は潰走しやすいので、決戦では弱くなります。

また守備側には『陣』があって戦を有利にすすめられます。今回は、はじめに戦場にいた秋月家が守備側で、秋月軍ペースで終わりました。

 

援軍が負けたことで少弐家の戦意がさらに下がります。戦意が下がると城の士気ゲージの減少速度も早くなる。かえって攻略が楽になりました。

頼りの援軍を失った勢福寺城の落城は間近になりました。

 

1556年4月、およそ一ヶ月の包囲で勢福寺城は落城。秋月家は少弐家を滅亡させ、所領を拡大したのでした。

 

秋月家の初戦、秋月・大内連合VS少弐・大友連合の戦は、我々の勝利で終結です。

 

戦後処理

領地を失い滅亡した少弐家。戦に勝利した秋月家は、少弐家の家臣団を取り込むことになります。

滅亡させた勢力の武将をすべて登用できるのは前作“創造”と一緒です。仕えたばかりの武将は仇敵に仕えていることに苦悩を抱えて『忠誠』が低くなりますが、登用自体には失敗はありません。登用するとなれば、当主もただちに出仕します。


※中でも神代勝利はすぐにでも活躍できる逸材だ。

 

そして、すぐあとに評定がありました。新参の武将も評定に参加します。少弐家の武将たちは積極的に発言。

少弐冬尚もさっそく評定に参加してオーラを放って(マニュアルの記述まま)名案を繰り出します。秋月家は多くの「施策力」を獲得しました。


※お互いに切り替え早いな……

 

評定が終わると、内田実久が新たな方策を提案。商業の方策、“行動追加・壱”です。


※いつも銭ばかり言っている内田実久。方策も銭がらみのものだった。どうも顎に手を当てているのは、銭のことを考えているからかもしれない。

 

“行動追加・壱”は商業コマンドが2回できるようになる強力な方策です。

実施できる方策は評定のたびに家臣がこのように提案することで増えていきます。技術ツリーが充実し、秋月家の力も強まってきました。


※宿老尊重も採用。

 

次なる目標の設定

秋月家は少弐家を攻略して所領の拡大に成功しました。

大友の目が南に向いたからという、わりと勢いのまま攻めたのが運良く成功してひと安心ですが、つづいて次に狙う勢力を定める必要があります。

気がつくと九州の勢力図はこのようになっていました。


※福岡あたりにある黄色い家紋の勢力が秋月。

大友家とはまだ国力差があります。少弐家を攻略したからといって、さすがに今すぐ大友家と戦、というわけにはいきません。

ということで秋月家が次にねらうのは西、肥前の龍造寺家です。兵数でいえば龍造寺1万2千に対して秋月1万弱。ほぼ互角ですが、武将の質ではあちらに分があります。


※龍造寺隆信はどうやら島津領を狙っているようだ

不安なので他から援軍を頼みたいところです。しかし盟友・大内家は龍造寺家と同盟関係。大内の援軍は見込めません。

 

このころ、南九州にあった相良家と伊東家は、大友、島津に攻め取られて滅亡。これで大友・島津の両勢力はさらに力を伸ばしていました。

そのいっぽうの島津家は北上。肥前有馬家を滅亡においやり、龍造寺家と国境線を接するまでになっています。

龍造寺家は島津家との外交関係はありません。

そこで秋月家は島津家に使者を出して同盟を結ぶことにしました。まえから親善していた甲斐があって同盟は無事に締結。これで島津からの援軍を期待できそうです。

 

しかし少弐との戦で、秋月の兵糧はほぼ空っぽです。ここはしばらく戦を考えず、収穫のある来年の9月までの一年は力をたくわえることにします。

 


 

志の特性解放

しばらくして1557年2月、こつこつと耕していた秋月城の農地がようやく15000をこえました。野望開始からおよそ2年がかりでしたが、これで秋月文種の志「領地保全」の志特性『農地改革』がエフェクトとともに解放されます。


※シャキーン


※ジャジャーンチャララーラ

 

解放で得られる志特性の効果はなかなか強力。こうして条件を満たして志特性を解放してゆくことで、その勢力はゲームを有利にすすめることができます。

『農地改革』は種蒔き・草刈りの効果が上がります。農業コマンドは季節ごとに行われ、行える回数も限られているので効果そのものをあげることができるのは大きい。


※領地保全は農民関係の効果が多い。農力を活かしたプレイをしていきたい。どの志にも1つはデメリットがあり、善政では”専守防衛”で、軍事の施策力が減ってしまう。

さらに1月には次男・種実が元服。当主・文種に万が一のことがあっても安心です。


※内田実久のコメントが事務的だが、一応この前に祝福の言葉は添えている。


※評定においてもオーラを放ち活躍する孝行な次期当主であった

 

そして米の収穫期、龍造寺と雌雄を決する時。しかし……

さて月日は流れ、9月になりました。9月は収穫の時期。秋月家にも米収入があります。ようやく準備がととのい、これで兵が出せます。

しかしそれは他家もおなじこと。9月になり収穫が終わると、全国的に各勢力の動きは活発になります。

 

そこで動き出したのは大友義鎮です。龍造寺家へと宣戦布告をすると、みずから村中城へと進軍を開始。


※エイメン!

 

出遅れました。秋月家もあわてて龍造寺に宣戦布告。


※宣戦されてもキャラがぶれず俺様な龍造寺隆信。大友に狙われた時点でだいぶお家存亡の危機的状況なので強がりです。

 

 

その宣戦の後、大友義鎮(10200)と龍造寺隆信(24900)が鹿江で決戦を開始したのでした。


※龍造寺隆信はこの危機を乗り切れるのか

 

 

 

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