1574年4月、庄高資を下津井城代に任命しました。
※これは誰なのかというと、元・三村勢力の武将いつ加入したのか忘れました。
さて、備前では宇喜多直家が台頭。浦上家はすでに滅亡しています。プレイ目標は”浦上家を攻略する”。三浦貞広は攻略先を失ってしまいました。
三浦貞広はとりあえず宇喜多直家の討伐を決定。まずは三浦領から一番近い長船城の攻略を目指すことになります。
1574年5月。貞広は長船城を攻めるにあたって、三好家に援軍を要請。牧良長、上野隆徳らに長船城への出兵を命じたのでした。
※浦上家を滅ぼした宇喜多直家。三浦家としては、浦上家を相手にするよりも、かえって後ろめたさがなくなった。
出陣した三浦軍の総勢は6400ほど。後詰を合わせれば、最大13000ほどは用意できます。
対する宇喜多家の総兵数は9000ほどです。
三好の援軍があれば、十分に攻略できるはずです。
しかし、三好家は動きません。
三好が動かないとなると、兵数的に五分五分の戦いになります。
宇喜多直家は謀略だけでなく、戦の才能も桁外れです。直家を警戒する三浦軍はここでの無理を避け、兵を退くことを決めました。けっきょく長船城への侵攻は未遂となります。
三浦家は別の攻略法を模索。貞広は、まず叔父・三浦貞盛に命じて両宮山城の築城をこころみます。
両宮山は、岡山城と宇喜多家の本拠・天神山城の中ほどにある拠点です。ここに築城すれば、宇喜多家に圧力を加えられます。
また、宇喜多家の目が両宮山に向けば、長船城の攻略が楽になるかもしれません。
※鉄資源があり、鉄の生産も期待できる両宮山城。獲得して「たたら場」を建てたい。
築城をはじめると、宇喜多家はただちに反応。やはり妨害にかかります。
三石城から明石全登(兵2200)が出陣、築城中の両宮山を守る牧国信(兵3300)に攻撃をしかけてきました。
しかし牧国信は明石全登を難なく撃退。
※明石全登を相手にするのは赤子の手をひねるように簡単だったぜ。明石全登の被害2200に対し、牧国信の被害は半分1100。勝敗を分けたのは練度(30くらい)の差だろうか。
この結果に宇喜多家は動揺します。さらに両宮山に、長船城を守っていた花房正幸(兵およそ2100)を差し向けてきました。
これで宇喜多家の目を両宮山に向かせるという三浦家の狙い通りの展開になりました。三浦貞広はこの隙に長船城へと侵攻を開始。牧良長らとともに、およそ8000の兵をすすめます。
この動きをみて、長船城では岡利勝が城兵をかきあつめて出陣、城下に布陣します。しかし、長船城兵の練度(兵の強さ)はわずかに3。練度44の兵を率いる勇将・牧良長らの相手にはなりません。
三浦軍は岡利勝隊を粉砕、長船城の包囲を開始しました。両宮山に出ていた花房正幸も長船城に戻りますが、これも難なく撃破します。
※三浦軍259の被害に対して岡利勝は846。あいつぐ戦で消耗し、練度が低くなった宇喜多兵は信じられないくらいの弱さである。
1574年9月、長船城は降伏。
勝利した貞広たちは、そのままさらに東、三石城へと歩をすすめます。
明石全登が三石城下で抵抗しますが、三石城兵の練度もやはり3。
士気の高い三浦軍はすぐに明石全登を破り、三石城の包囲を完成します。
1574年10月、三石城も降伏し、三浦貞盛は『猛将』となりました。
※経験を積み「猛将」になった三浦貞盛。まだまだ、働けるな……
ここで三浦軍は一旦帰城。捕虜にした明石全登、岡利勝らを処断しました。
この時点で、宇喜多領は天神山城を残すのみです。さらに長船城、三石城での戦闘の間に両宮山城も完成。三浦領と天神山城の距離が縮みました。
こうして三浦貞広は宇喜多直家を追い詰めたのです。宇喜多家の独立から半年ほどのことでした。
※宇喜多直家は最大の危機を迎えた。ただし直家のこもる天神山城は耐久値9500の堅城。攻め落とすのも簡単ではない。
この戦の裏で、三浦貞広は次女、三浦珠を三村元範に嫁がせ、一門に迎えます。
また、不満の多かったもと三村勢力の家臣・石川久智に聖霊山城を与えるなど、三浦家の基盤強化をはかりました。
※次女・珠は織田家に嫁がせるつもりだったが、三村元範との縁組に。
さらに外交面では織田家に長女・三浦唄が輿入れ、婚姻同盟を締結します。これで後の憂いを断つことに成功しました。
※織田と三浦では相当な国力差の開きがあるので、対等な同盟関係とはならないだろう
この時、宇喜多家の総兵力5000に対し、三浦家は21000。三浦家が宇喜多家に敗北する可能性はかなり低くなりました。三浦と宇喜多との戦、その大勢はすでに決していました。
追い詰められた宇喜多家当主・宇喜多直家は起死回生の一手を打ちました。
1575年1月、宇喜多直家は天神山城から出陣。自ら4400の兵をひきいて三浦領・三石城へと侵攻したのです。
※貞広は三石城に城代を置いていない。宇喜多直家はその隙を狙ったようだ。
三浦家は三石城に上野隆徳らを派遣。入城後、すぐに城下に出陣させます。
さらに、逆に手薄になった天神山城へと侵攻を開始。
岡山城から牧国信(兵3000)、長船城代・中村則治(兵3600)が出陣、反撃に転じました。
宇喜多直家は三石城下を守る上野隆徳と交戦していましたが、こうなると兵をひかざるをえません。
上野隆徳は後退する直家を追撃。被害を与えながら、天神山城へと合流します。
備中松山城から出た牧良長も到着すると、天神山城下で両軍は衝突。三浦軍は宇喜多軍に挟撃をくわえました。
その結果、宇喜多軍はあっという間に兵を喪失。
三浦家はこれまで、宇喜多直家に不満を抱いていた花房正幸への調略(密談)をすすめていました。しかし、この状況では、もはや調略を利用する必要もありません。力で押し切れることがわかったからです。
天神山城下の戦いは牧良長が花房正成を討ち取るなど、一方的なものとなりました。
宇喜多との戦が終結する気配を感じた当主・三浦貞広も高田城から出陣。天神山城に到着すると、攻城合戦を開戦します。
※「宇喜多直家、ここにて雌雄を決しようぞ」それにしてもこの当主、ノリノリである
この攻城戦は三浦軍(兵10935)VS宇喜多軍(兵863)の戦いとなりました。
天神山城は堅城とはいえ、兵力差は10倍。劣勢の宇喜多軍が守りきるには無理があります。
三浦軍は難なく宇喜田軍を撤退に追い込むと天守になだれ込みます。牧良長、国信兄弟の攻撃をうけて、天神山城の三層天守は陥落しました。
※「我らが渾身の矢を受けよ!」と牧良長。これはもはや戦ではない。
1575年3月。天神山城は落城。
戦国大名としての宇喜多家は滅亡します。
戦後、貞広は花房正幸、延原景能らを登用。
宇喜多家当主・宇喜多直家は処断しました。
※宇喜多直家は、このプレイのしばりでは現状、絶対に登用できないほどの天才。退場していただいた。
宇喜多家を攻略し、ここに三浦貞広の備前統一がなされました。
かつて三浦家の後ろ盾だった浦上家を下した宇喜多直家。その直家を討ち果たした三浦貞広は、備前の地を手にし、その名を近隣に轟かせたのでした。
※人口8位(164119)、石高8位(8770)、兵数10位(27098)の勢力になった。
プレイ目標は“浦上家を攻略する”でしたが、浦上家の勢力を引き継いだ宇喜多家を滅亡させたため、『三浦貞広の野望part2』はこれでクリアとします。
ここまで読んでいただいた方、お疲れさまでした&ありがとうございました。