1569年某月。
経験を積んだ三浦貞盛が成長をとげました。
※経験を積み能力があがった武将は、こうして評定の時に自己アピールするのだ。「お家のため、老け込むわけにはいかない」55歳の貞盛は、政治能力が+1されて、政治59となった。
三浦家臣たちは投資や外交工作で経験を得て、少しずつ成長しています。
さて、中国地方では三好家が中心となった反毛利連合が結成されました。三浦家の周辺勢力は親毛利連合に加入しています。
連合が解散するまでの期間は3年。その間、連合した勢力同士は停戦状態になります。
三浦家はどちらの連合にも加入していません。もちろん、三浦家も親毛利連合に加入すればとりあえず周囲から攻められる心配はなくなります。3年間は毛利家の名の下に安泰となるのです。
※画像中央上あたり、山の真ん中にあるのが三浦家の高田城である。四国勢はだいたい反連合。さらに九州の大友も反連合に加盟している。ここに毛利包囲網が敷かれたのだ。
しかし、三浦家は親毛利連合に加入している三村家の攻略を目標としています。親連合に入れば三村家の攻略は遠のいてしまいます。
かといって反連合に加われば、毛利家は大軍をもって本拠・高田城へと攻め寄せてくるでしょう。毛利家に対抗するには、まだ力が足りません。
結局、このままどちらの連合にも加入しないことを決めました。
ただし、毛利家との外交姿勢は、はっきりとする必要があります。
今、三浦家は三村家の攻略に集中しなければなりません。ここで、いったん毛利家とは手を結びます。三浦家当主・貞広が外交工作を続け、ある程度の信用を得たことで、毛利家とは同盟の提案ができるようになっていました。
さっそく毛利家に対して軍事同盟を結ぶため、使者を出します。毛利元就はこれを受諾。1年同盟の約束をとりつけました。
※連合に加盟しなくても、同盟を結ぶことはできるのだ。毛利元就も内に敵を抱えたくないという判断からか、同盟に応じた。
毛利家と同盟したことで、瀬戸内海の向こう、伊予・河野家の外交姿勢が“関心”となりました。
そこで河野家に対して工作を開始。その結果、2ヶ月後には信用が増し、交易による外交収入が得られるようになります。
※河野家は毛利家と同盟を結んでいるために”関心”になった。信用が20にたっすると両家のあいだに交易がはじまり、100ほどの外交収入を期待できる。
前回は備中侵攻に失敗した三浦家ですが、三村家の攻略をあきらめたわけではありません。次の侵攻の機会をさぐりながら、このように基盤の安定をはかります。
高田城も城下への投資がすすみ、しだいに豊かになりました。三浦領には、戦のない日々が続きます。
※ただし主に商業に投資しているので、商人街ばかりが発展。農村には不満があるようだ。中央に居るのは、しきりに畑に投資をしろと要求する村娘”投資姉さん”である。
毛利元就との同盟からおよそ5ヶ月後、1569年6月。
三浦家の攻略目標・備中松山城は相変わらず三浦兵に脅かされていました。
三浦家はすでに二年間、三村領内へと兵を差し向けています。そしてついに備中松山城の補給は限界をむかえました。
松山城下を守る上野隊の腰兵糧の残りもありません。兵糧が尽きはてたことで、兵が脱落しはじめます。
※飢えた兵たちは三村家を見限り脱走。その結果、出陣時の半数以下となった。三浦家にとってはまさに千載一遇の好機である。
この状況に直面して、三村元親は米を買い足して難を逃れようとします。しかし、収穫を目前にひかえた、この季節の米は高い。
山城で商業収入に乏しい三村家が、買える兵糧には限りがありました。結果的に、松山兵は買い足された兵糧で補給できるぎりぎり、740まで減少します。
※三浦家に領内を脅かされながらも、その兵の正体をつかめていないのだろう。三村家の当家への外交姿勢は”関心”となっていてなんとも言えない気分。
ここにいたり、貞広は備中への出陣を決めます。浦上家の援軍が期待できなくなった今、ついに独力での松山城攻略に乗り出しました。
出陣を決めた貞広は高田城1400の兵を2隊に分けます。三浦貞広隊700、牧良長隊700です。
※二度目の侵攻。この戦で備中松山城を攻略したい三浦貞広。貞盛が副将なので、”一門衆”の効果発動である。
備中松山城への陽動をしかけていた牧国信の兵は、補給のためいったん高田城に下がらせます。
貞広隊、良長隊の2隊は、備中へと進みました。
三浦貞広隊
※貞広は知略が高く、包囲に自信あり。叔父・貞盛を副将とした部隊編成をすることで、”一門衆”という力を発揮。部隊は強くなる。
統率57/ 武勇50/ 知略67
・三浦貞広/ 三浦貞盛(副将) (兵数700)
牧良長隊
※武勇がちょっとずつ成長している良長。2年にわたり、松山城に対する刈り働きを続けた。目つきに容赦を感じさせない修羅と化したようにも見える。
統率63/ 武勇66/ 知略60
・牧良長/ 中村則治(副将) (兵数700)
備中松山城下を守る上野隆徳は高い統率をほこる強敵です。まともにぶつかっては被害が大きくなります。ここは挟撃をはかります。
貞広本隊は虎倉の脇を抜けて進軍。牧国信隊は、有漢を通って本隊に足並みを揃えます。
2部隊は備中松山城に到達。挟撃は成功し、両軍による本格的な戦闘がはじまりました。
※上野隆徳が”一門衆”を発揮しているのは、三村元範とその叔父・家成を副将としているからである。”一門衆”を発揮した部隊同士の対決となったが、戦闘では挟撃をした側が有利。隆徳がいかに勇将といえども、ひとたまりもないはずだ。