【上杉景虎の野望】その11 景虎結実、上杉として

---春日山での決戦、同月。

 

出陣中だった長尾憲景が急死します。

憲景がおさめていた柏崎城は急遽、長尾景広が引き継ぐことになりました。

kagetora10_40※こうして景広は11歳の長尾家当主となったのだ。

訃報は続きます。同じく出陣中だった小島弥太郎も死亡。栃尾城主でしたが、こちらには跡取りがなかったため、そのまま断絶しました。

 

 

家中随一の猛将だった小島弥太郎の死は、景虎派の戦力を大幅に低下させることになります。

kagetora10_41[1]※主力武将の死亡に、景虎領内には衝撃走る。ちなみに、武将一人の部隊は、その武将が死ぬと消滅する。憲景隊と弥太郎隊は消えてしまったのだった……。

 

小島弥太郎が死亡したため、樋口兼豊に攻められていた栃尾城では、モブ家臣がその陣頭に立つことになりました。

攻め落とされるところでしたが、春日山から引き返した景虎らの援軍がぎりぎり間に合いました。敵軍を撃破し、栃尾城は守りきられます。

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※決戦を終えたばかりの強攻軍によって樋口兼豊を撃破することに成功した。小島弥太郎の領地は、どうにか保たれ、それから山本寺定長が入城。

 

防衛をおえた景虎は、いったん北条城に帰還。それから上杉憲政をともなって春日山城へと入城します。

これで、ようやく上杉家当主としての地盤を固めることができたのです。

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※上杉憲政もようやく御館に帰ってきたのであった。

 

そうしているうちに鶴姫との間に元気な赤子も生まれました。

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※上杉興綱の誕生。

 


 

さて、春日山で決戦がおこなわれていたころ、上杉景勝の目は全く別の方を向いていました。

景勝は徳川領・木曽福島城への侵攻を開始。しかしこの侵攻は、織田・徳川の連合軍によって阻止されます。

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※春日山への後詰を出さず、貪欲に領地拡大をすすめる上杉景勝。“傾奇者”を彷彿とさせる侵攻には、プレイヤーも苦笑い。

 

この侵攻が意味するところは、景勝はこの不利な状況下でも領地拡大を諦めていないということです。景勝派は影響力を縮小したとはいえ、いまだにその兵数は旺盛。

景虎は、その力をさらに削ぐ必要がありました。というか、もう早いところ滅亡させようと思っていました。

 

景勝の勢力は東西に分断されています。東に会津と、西に越中、能登、飛騨です。

実際の数を見ると、景虎派の兵力2万に対して、景勝派は5万5千。まだ倍以上の差があり、景虎には味方が必要でした。

 


 

このころ、景虎は反上杉連合に織田信長を引き入れることに成功します。

 

「本能寺の変」が発生しなかったこともあって、織田家は勢いに乗るまま巨大な勢力となっていました。四国まで手を伸ばし、景虎の兵力2万に対して織田家は20万。今後、これと敵対する展開は景虎にとって好ましくありません。

 

そこで景虎は織田家と婚姻同盟を結びます。景虎の一門ということになっている長尾景直が、織田の忍姫をむかえました。

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※このような婚姻を、北条家は黙っていないだろう。と思いきや。黙っていたので知らん顔をして織田との婚姻を取り付けたのだった。

反上杉連合に加盟した後、織田家はほとんど景勝領を攻めることはありませんでしたが、その影響力で景勝を牽制したのでした。

 

それから景虎は、越後平定に向かって兵をすすめていくことになります。

 

1585年9月、景虎はおよそ2年の歳月をかけた激戦を制し、越後の統一に成功。

ただ、伊達家に援軍を依頼した結果、その端、平林城に伊達家の影響力を残すことになりました。

 

この頃になると、景虎派の兵数は44000。景勝派は32000で、その力関係も逆転します。

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※ただし、拠点16に対して武将13と、深刻な武将不足に陥っている。

つづいて、越前の攻略に着手。七尾城主・遊佐続光を寝返らせると、結託して城を落とし、その一帯を平定しました。

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※能登あたりは遊佐続光のものとなった

 

しかしその後、1586年4月に反上杉連合が解散。流れが変わります。

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この同時期に長尾景直が死去し、織田家との婚姻同盟が解消。さらに悪いことに、織田家が景虎派の領地を脅かしたためにその関係が断絶します。

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景虎は景勝派の飛騨・松倉城攻略の最中でしたが、そこに織田の軍勢が詰め寄ります。

 

景勝はタイミングを見はからって織田家に援軍を要請したのでした。これにより、兵数30万をかかえる巨大勢力が敵として景虎に立ちはだかることになってしまいました。

景虎は飛騨に手出しができない状況に陥ります。

 

仕方なく、景虎は飛騨をあきらめ、会津の攻略を進めるために伊達家への働きかけをはじめたのでした。

 

 

しかし、その6ヶ月後、景勝が意外な行動に出ます。

なんと、停戦期間を終えた瞬間、織田領となっていた高原諏訪城へと侵攻をはじめたのです。

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※こうなると、もはや“傾奇者”というより“狂犬”の域。景勝が只者ではないことは確かである。

 

このころ、景虎は伊達政宗に働きかけ、会津への侵攻している最中でした。

 

景虎は計画を変更し、飛騨へと兵をすすめることになります。黒川城をはじめ、会津の上杉領は、ほぼ伊達家の手中に収まりました。

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これで、景勝派の城は飛騨にある2城を残すのみとなりました。

 

景虎は春日山城から出陣、越中を抜けて飛騨に入ります。

脅威であった織田家からの援軍がないため、進軍に問題はありません。途中、下間頼廉がひきいる一向宗と一触即発になりますが、ことなきをえました。

 

景虎派3万の軍勢が、飛騨の山城攻略をはじめます。

 

名将・斎藤朝信の守る帰雲城も、高原諏訪城への攻撃によって兵を失っています。遊佐続光が難なく城下に入ると、包囲を開始。

景勝はこれをうけて松倉城下に出陣。その軍勢をまちかまえていました。

そしてこれが景虎と景勝、最後の戦いになりました。

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※上杉景勝! 今こそ雌雄を決そう! ちなみに画像左上に6700の兵がいるが、それが頼廉。

 

寡兵の景勝はほどなく壊滅。景虎による包囲が始まります。

 

 

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※上杉景虎は織田家の兵が全力で警戒する中で、松倉城を包囲、攻略した。

 

およそ2ヶ月の包囲の後、ついに景勝の居城、松倉城は落城します。帰雲城はそれをまたずに落城。ここに景虎派の勝ちが決まりました。

1588年6月、上杉家は景虎派によって統一されたのです。

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こうして上杉景虎の野望は結実しました。

 

謙信公の名を受け継ぎ、堂々と越後に君臨した上杉景虎。まだまだその勢力は十分ではなく前途多難ですが、今後、景虎が上杉家当主として、家の存続を目指すことになるのです。

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※己の居場所を得た上杉景虎。謙信公もこの成長を喜んでいることだろう。景虎は時代に遅れながらも、ようやくその名にふさわしい、戦乱をかける虎となった。

 

 

その後の上杉景勝

上杉景虎に敗北した上杉景勝は、春日山城に護送されて謹慎の後、なんとなく上杉家に所属することになります。

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※戻ったら、誠心誠意お仕えしよう

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※誠心誠意お仕えいたす所存

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※それでは雑太城に向かいます

 

 

それから景勝の身柄は無事に佐渡ヶ島へと流され、その後を雑太城で過ごすことになりました。

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しかしその姿はたびたび春日山城で目撃され、じっさいには景虎と馬術を楽しんだりしていたのでした。士道、”義”を掲げながら謎の行動を繰り返した上杉景勝。はたしてその正体は何者なのか。彼の未来には、何が待ち受けているのでしょうか。

kagetora11_35※やはり景虎のライバル・上杉景勝は計り知れない武将であった……。

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これで大乱成就_私と誰かの野望の『上杉景虎の野望』は完結です。プレイは11年。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました&お疲れさまでした!

コメントを下さった方、ランキングをポチっていただいた方、ありがとうございます。はげみになりました。

そのうちに感想を書くかもしれません。

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【上杉景虎の野望】その11 景虎結実、上杉として」への6件のフィードバック

  1. ちょろ

    上杉景虎の野望、お疲れ様でした。

    上洛を目指す謙信公が東への進出を打ち出した時は
    どうなることかと思いましたが、無事に御館の乱が
    起こったことでホッとしました(笑)

    私も現在、戦国立志伝をプレイしています。
    創造PKとはかなり色合いが違っており、
    諸々の不満点はあるものの、楽しく遊んでおります。

    木坂様は如何でしたでしょうか。

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >ちょろさん
      コメントありがとうございます!

      今回は少し疲れてしまいました(?)
      謙信公の行動には驚かされましたが、ともあれ完結です。私も本当に御館の乱が起きるのか不安だったのですが、無事に起きてよかったです(!?)

      ちょろさんも戦国立志伝を楽しくプレイされているのですね!
      私もここまでプレイしたということは、やはり楽しんでいたのだと思います。

      ただ、なかなか受け入れられない所もあります。
      このプレイリポートが完結までに時間がかかったのは、それが原因……ということにいたします。

      次回の大型アップデートが7月頭と発表されました。また新たな楽しみが発見できれば嬉しいですね。

      ここまでおつき合いいただき、ありがとうございました!mm

      返信
  2. セッサイ

    木坂様
    お疲れ様でした。今作は何かの目的をもってプレイするのに適したゲームの気がしますね。だめな主家を支えたり、城主しばりをしたり、木坂様のプレイも創造pkとはまた違う趣があり、11年とは思えないほど非常にボリュームがありました。

    AIを超好戦にして前半のシナリオでの家臣プレイがなかなかオススメです。次回の何かの参考にでもしていただければ。

    暑くなってきましたので、お体に気をつけてゲーム三昧してくださいませ。

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >セッサイさん
      コメントありがとうございます!

      確かに、このプレイはボリュームがありました。。

      >だめな主家を支えたり、城主しばりをしたり
      なるほどです。別で少しプレイした時には、私はある程度勢力が大きくなったら、つい独立をしてしまっていました。
      ちょっと家臣プレイは合わないと思っていましたが、もしかすると食わず嫌いだったかもしれません。

      ただ、そうなるとエンディングまで遠すぎる気がするので、地方統一とか、ゲームクリアのタイミングが増えると更にいいのかもしれません。
      もしかするとイベントエディタでそういったところも作成できるのでは、とも期待しています。

      AI超好戦の家臣プレイ、そのうちに試してみたいと思います!

      お気遣いいただき、ありがとうございます!

      ここまでおつき合いいただき、ありがとうございました!mm

      返信
  3. タロー

    投稿者様、上杉景虎編お疲れ様でした。
    景勝はやはり我々常人には図れない何かがあるのでしょうね(笑)
    予想通りというか6月アップデートも延期しましたね。イベントエディタがどの程度のものが出来るのか期待してるような出来ないような複雑な気持ちです(笑)
    まあようやく訪問コマンドが実装されるのは嬉しいです。
    感想というよりアップデートの話が多くなりましたが次回作も期待しています。お疲れ様でした。

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >タローさん
      コメントありがとうございます!

      >景勝はやはり我々常人には図れない何かがあるのでしょうね(笑)
      はい、おそらく。。(?)

      イベントエディタが期待できるのかできないのか、複雑な気持ちというのはよくわかります。
      Facebookの画像を見ると、当たり前ですが、イベント合戦エディタはなさそうに見えますね……。
      しかし、期待したいところですね。一応、ユーザー間の共有もできるようなので、楽しみです。

      訪問コマンドで、ようやくこちらから武将に働きかけることができるようになりますね。訪問先で金をせびったりせびられたりするのでしょうか。

      どうあれ、イベントエディタもあって戦国立志伝ユーザーにとって最注目のアップデートだと思います。気長に待ちましょう。

      次回は……未定です! アップデート後かもしれません。

      ここまでおつき合いいただき、ありがとうございました!mm

      返信

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