【三浦家の野望】その21 山陰の覇者

1544年12月、毛利元就は三浦家の出雲攻略の隙をついて兵6500を出陣。三浦領・翁山城へ侵攻します。城主の中村則治は、はからずも窮地となったのでした。

miura_1_22_1※なんでまた儂だけがこんな危機に……。則治もストレスとかが溜まって身体に悪そうだ。

 

こんな状況ですが、三浦貞久も出雲の攻撃をゆるめるつもりはありません。出雲の攻略を後回しにすると、大内家の介入があり面倒なことになるかもしれないからです。いざとなれば翁山城放棄の決断をくだす覚悟です。

ひとまず毛利軍の様子をうかがうと、大将・毛利元就隊3000の兵は大きく北に回りこんでいます。元就は強敵で一番の問題でしたが、どうも別部隊と足並みを揃えてないようです。

miura_1_22_2
※毛利元就の能力はとても高くて厄介。しかし、どこまで北上するのだろうか……?

 

元就が戦場に間に合わなければ、毛利軍は主力不在になります。その場合、兵数はおよそ3500。翁山城には2465の守備兵がいます。数だけを見るとそれほど脅威ではありません。

貞久はひとまず、多里城を攻めていた行松正盛を援軍に向かわせることにしました。

miura_1_22_5

さらに、備中高松城で待機していた公文重忠が4100の兵をひきいて神辺城へ出陣。この攻撃で、毛利軍の動揺をさそいます。

miura_1_22_3
※これだけ出せば毛利家も守りに入るはず。

翌1月、翁山城は毛利隆元隊に包囲されました。中村則治は援軍が来るまで、この攻撃を耐えなければなりません。

miura_1_22_4
※敵に囲まれてしまった中村則治は降伏しないで我慢できるのだろうか

 

つづく


 

いっぽう、出雲に侵攻中の三浦貞久らは尼子家の本拠・月山富田城にたどりつきました。

miura_1_22_7

この戦にあたって、貞久はあらかじめ国人衆に根回しをしていました。これにより、尼子家に味方する国人衆はおらず、月山富田城は孤立。

miura_1_22_8
※というか、尼子家はもともと出雲の国人衆から支持されていなかったようだ。国人衆をもっと大切にした方がいい。

また、尼子軍は鳥取敗戦の傷も癒えていません。月山富田城では三浦軍の兵10800に対し、尼子の守りは4200。両軍の兵力差は2倍以上になりました。

 

さらに月山富田城の南では、三浦貞盛が多里城を包囲していました。尼子詮久は大内家に防衛の援軍を頼みますが、三浦家と大内家は停戦状態。大内家は手出しできません。

miura_1_22_c
※山吹城から尼子誠久が救援に来たが、観光くらいしかできない。

三浦家の有利は変わらず、尼子家は多方面で攻められ苦しい状況となりました。

 

 

月山富田城で尼子詮久と対峙した三浦貞久は、会戦を開くことにしました。高田城の敗北で始まった三浦家の野望。敵の本拠地での会戦で勝利をおさめたいところです。

miura_1_22_7
※だが圧倒的な兵数差。これならまず負けることはないだろう。

 


 

月山富田城攻略戦

三浦軍 兵数10800

尼子軍 兵数4200

 

miura_1_22_10
※三浦の大軍を前に状況が飲み込めていないのか、口をぽかんと開ける手島興信。三浦軍は当主が最前線という思い切った布陣だった。

 

この会戦では作戦は特にありません。兵数にまかせて尼子軍のせん滅をはかります。

会戦がはじまると、三浦貞久は今まで活躍できなかった鬱憤を晴らすべく自ら先陣を切って突撃。櫓を破壊すると、手島興信を打ち破る活躍をみせました。

miura_1_22_11
※ ここぞとばかりに前に出る当主・貞久。でも隊列が崩れていて、結構無理をしているのがわかる。

 

そんな三浦貞久に触発されたのか、尼子詮久も三浦軍へと突っこんできました。

miura_1_22_b
※どうも尼子詮久は血気にはやる癖があるようだ。

 

しかし詮久は3部隊に包囲されて壊滅。三浦軍が勝利しました。

miura_1_22_12
※くっ……退くぞ! 尼子軍は采配ゲージをほとんど消費しないで撤退。采配ミスである。

 


 

こうして月山富田城攻略戦は10日のうちに終結。月山富田城の防衛力は失われたのでした。三浦軍はこの勝利に乗じて城門に攻撃をくわえ、月山富田城の包囲を完成します。

包囲がはじまってからおよそ一ヶ月。これまで尼子家を守ってきた堅城・月山富田城も落城の時をむかえました。

miura_1_22_16
※10年の時をへて、尼子家の本拠を攻略する時がきたのだ。尼子経久を追い詰められなかったのは悔しいが、いまは感慨に浸ろう。

miura_1_22_17
※「月山富田城、攻め落としたり!」 勝ち鬨をあげたのは赤穴光清。手柄を当主に譲るつもりなどはないようだ。

 

 

月山富田城を失った尼子詮久は出雲の統治をあきらめ、安芸・佐東銀山城へと落ち延びました。一時は山陰の雄として名を馳せた尼子家も、美作の一、豪族の手によって敗北を喫したのです。

miura_1_22_e
※佐東銀山城に入場した尼子詮久

 

多里城主・小笠原長雄は尼子詮久が月山富田城の会戦に敗北したことで、三浦家に降伏。

miura_1_22_9
※この戦は三浦貞盛のおかげで、我らの勝ちのようですな。

さらに1545年4月、三浦貞盛は三刀屋城を攻略。同年6月には三浦貞久が新山城を攻略し、三浦家による出雲統一は成し遂げられたのでした。

miura_1_22_d
※「どうだ!」ようやく落城をアピールしてご満悦の三浦貞久。

miura1_21_20
※三浦家も山陰にかなりの影響力を持つにいたった。

 

 

そのころ、尼子家当主・尼子詮久は突如として能島村上家に宣戦布告。

単独で能島城を攻めますが、侵攻は失敗。またいたずらに兵を失う結果となったのでした。

miura_1_22_a
※ついに領地が1城となってしまった尼子家。こんなことをしている場合ではないだろうに……。

 

 

広告

【三浦家の野望】その21 山陰の覇者」への6件のフィードバック

  1. なみたろう

    念願の月山富田城攻略おめでとうございます!

    空気の読めない赤穴光清はご愛嬌ですね笑

    やっぱり緑のコスチュームを着ていないから
    当主の気持ちが察せないのでしょうか。

    そのあと気を取り直して、
    貞久が勝ち鬨を上げれて良かったですけどもw

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >なみたろうさん
      コメントありがとうございます!

      そうかもしれません。赤穴光清は名前からして赤なので、まだ馴染めないのもやむなしです。
      でも、そのうち緑に染まるかもしれません。緑穴光清になるかもしれませんね。なりませんね。

      貞久も地味な仕事ばかりだったのでたまには表舞台に出て欲しいと思っていました。
      とりあえず勝ち鬨だけあげられてよかったです。。

      返信
  2. 茨木城

    三浦家のどなたが尼子さんにトドメをさすことになるのか?
    意識高い系の猛将、貞盛さんの勝鬨が聞こえそうソウ。
    個人的には鹿之助を応援たいけど時代的にまだいなかな?
    大内家、毛利家にも横取りにあいそーですが貞久ガンバレ!

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >茨木城さん
      コメントありがとうございます!

      慧眼をお持ちですね。最後は貞……でした!

      鹿之助さんは残念ながら、まだいません。
      でもあの方は尼子家でこそ光る逸材なので、応援されると苦しいところもあります。
      逆にまだいなくてよかったです!(?)

      貞久への応援、ありがとうございます!

      返信
  3. 相模原

    月山富田城攻略おめでとうございます
    長かったような短かっ…長かったですね
    お疲れ様です
    後は中村則治次第ですね
    毛利を越えて尼子家殲滅
    名実供に大内家に並ぶ大大名になれるのか
    最後の手柄は誰の手に渡るのか楽しみにしてます

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >相模原さん
      コメントありがとうございます!

      長かったような、短かっ……ですね。もしかすると本文自体はあまり長くなかったかもしれません。
      でも、リアルの連載期間が長すぎでしたね。

      大内家はぶっちぎりの全国1位なので、残念ながら勢力規模では追いつけません。。
      でも、心では大内家に対抗できるはずです。三浦ハートで頑張ります。よくわからないですね。

      返信

コメントを残す

コメントは反映されるまでに時間がかかります(スパム対策のため)。