【三浦家の野望】その19 尼子落日の時

1542年11月、三村家が滅亡。旧三村家臣をとらえた三浦貞盛は津山城へと向かいます。

旧三村家臣たちは、あいついで三浦家に投降。その中には何度か戦でまみえた竹内久盛の姿もありました。

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※竹内久盛は戦の見物をしている印象しかない。しかし、彼は山伏に鍛錬をうけて開眼、竹内流を創始した人物である。ただのにやけた人ではないのです……。

 

旧三村家臣たちは仕方なく投降したものの、みな反感を持っていました。

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※津山城のさんざんな状況。忠誠アイコンは信号機のようなもので、青いほど感情がいい。そもそも保守主義で三浦家と合わない旧三村家臣たちは75%もの武将が赤。

ひとまず、竹内久盛を備中松山城主に任命。他の武将たちは内政担当として各地に散らすことで結束を弱めることにしました。

 

さて、三浦家がつぎに目指すのは、尼子領・備後の攻略。備中から街道をとおって備後へと向かうのです。

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※画像左上の翁山城が目標。更にその先にある本城・比熊山城まで攻略をめざす。

その侵攻ルート上には、毛利領・神辺城があります。神辺城は戦をしかければ攻略できるかもしれませんが、毛利家とは争うつもりはありません。ここは毛利家の主家・大内家と交渉し、不戦をめざします。

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※大内家と三浦家は尼子家を共通の敵とみなしているので、姿勢が関心。信用を得やすい。

 

ただ、大内家とはまだ位置的に遠いので今のままでは外交をすることはできません。ここで政策『遠交近攻策』を採用。備中を手中にして得た資金を元手に、大内家に外交工作をおこなうことにしました。

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※金銭収入1665に対して、遠交近攻は1080もの費用がかかってつらい。

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※外交工作は最近活躍の場がない当主・貞久の仕事

大内家と同盟を締結するのには、少し時間がかかります。この間、三浦家は無理に動かず、疲弊した領内の整備、兵の回復に注力することになりました。

 


 

翌年、夏となりました。三浦貞久による大内家への工作がみのり、信用を得ることに成功。大内家と12ヶ月間の同盟を結びます。これで毛利家とも同盟状態となり、尼子侵攻の準備がととのいました。

 

備後を攻めとれば、尼子領を取り囲むことができます。そうなれば、もはや尼子家の命運も風前の灯です。そういえば1543年8月、薩摩に鉄砲が伝来しました。

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※あの島津にこんなものが渡ってしまった。

 

そして1543年9月、三浦家はついに備後攻めにとりかかります。

備中と津山城の兵を中心とした備後侵攻軍、総勢10000が備後へ向かいます。

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また大内家は、この動きに合わせるようにして再び山吹城へと侵攻しました。山吹城では尼子誠久が壊滅。大内義隆の包囲・強行にさらされます。

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さらに三浦貞久が八橋城から月山富田城へむけて出陣。尼子家は3方から攻められることになりました。

 

そういう事情もあって、尼子家は備後に十分な兵を集められずにいました。この侵攻に遭っても、佐東銀山城から瀬戸内海へと侵攻を開始。領土拡大に貪欲な姿勢をみせます。

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※四国方面に活路を見出したのだろうか。

 


 

 

備後攻略軍が備後に到着すると、翁山城への攻撃を開始。

比熊山城主・尼子国久は翁山城へと援軍にかけつけますが、その結果、本城・比熊山城は手薄になりました。その隙をついて、三浦貞盛、竹内久盛は比熊山城を包囲。2ヶ月後に比熊山城は落城しました。

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この2部隊は、そのまま翁山城へと向かいます。

 

そして三浦軍は尼子国久の守る翁山城を取り囲み、圧倒的に有利な状況となりました。ここで三浦軍は積年の恨みを晴らすように、会戦を仕掛けたのでした。

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※三浦軍10470VS尼子軍5292。

翁山城を守る尼子国久は櫓を放棄。逆落しに駆け下り、 “穿ち抜け”を発動します。不意をついて三浦家の懐に切り込みました。

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※霧の中から尼子国久が!? ま、まずい……

 

また、翁山城主・赤穴光清も奮戦。この会戦での三浦方の被害は6000にのぼり、三浦家は自軍の方が被害が大きい、さんざんたるものとなったのでした。

しかし、この会戦での敗北によって尼子国久は翁山城を明け渡すことになりました。

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※翁山城は降るとのこと。ま、まぁ、これも計算通りですな。

 

 

大内家が攻める山吹城の落城も間近。これをもって、尼子家の落日となるかと思われました。

そんなとき、尼子詮久は本拠・月山富田城から三浦領・八橋城へと出陣。総勢6400で打って出てきます。

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※状況の打開を目指したのかもしれない。

 

備後を攻略する三浦貞盛は、あえてこの動きを無視。一気に尼子家の勢力縮小をはかり、備後から出雲をめざして北上することにしました。

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※もう目標達成も目前だ! この勢いで三刀屋城、多里城も攻め落とそう。尼子の影響力を排除してくれよう!

 

ただ八橋城を攻める尼子詮久の侵攻はくい止めなければなりません。八橋城を守るのは当主・三浦貞久。詮久との直接対決が始まろうとしていました。

 

しかし、八橋城の目前にせまり、尼子詮久隊の旗色が急に変わります。詮久は八橋城を前にして、突如として三浦家との不戦を表明。

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※何が起きたというのですか?

 

じつは山吹城の落城をもって、尼子家は大内家に従属。大内家の立場にしたがって、尼子家も三浦家と同盟状態になったのでした。こうして三浦家と尼子家との因縁にも終止符がうたれたのです。

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※大内家のおかげで、中国地方には平和が訪れた。ありがとう大内義隆! 第19話 完!

 
 

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【三浦家の野望】その19 尼子落日の時」への8件のフィードバック

  1. 匿名

    最後は予想外の結末でしたが、何はともあれお疲れ様でした!
    次回作にも期待させていただきます!

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      コメントありがとうございます!

      ここまで読んでいただいてありがとうございました!
      ”完”と書いたのですが目標は達成していないので、もうちょっとだけ続きます! 紛らわしくてすみません……

      返信
  2. 相模原

    取り敢えずの尼子攻略おめでとうございます
    老人の力を借りて何度も復活してきた貞久にとってはさぞ嬉しいことでしょう

    とはいえ家系は存続しているので、もう少しの頑張りですね
    鍵は大内家側の尼子領(周防高森城?)をどうするかといったところですか
    そこも含めて頑張ってください

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >相模原さん
      コメントありがとうございます!

      老人に助けられて、長かった三浦貞久の戦いも大詰めです。かなり時間がかかってしまいました。
      それも私の怠慢のためです。怠慢はいけませんね。

      ちなみに尼子家とはこの時点で兵数が逆転しました。こうなると三浦時代の幕開けも、もうすぐです(?)
      目標達成まで、もう少しおつきあいください。

      応援いただき、ありがとうございます! はげみになりました。

      返信
  3. なみたろう

    尼子が大内に臣従とは!

    ちょっと煩わしい状況になってしまいましたね(^_^;)

    どう打破されるか楽しみです。

    そして小芝居のほうも期待したいです笑

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >なみたろうさん
      コメントありがとうございます!

      尼子詮久も従属する場合があることが意外でした。でも、この場では臣従の判断もやむなしでしょうか。
      月山富田城に攻撃するくらいまでは待ってくれればよかったのですが。
      今後も目標達成をめざして頑張ります! ほどほどに頑張ります。

      小芝居は……たぶんあると思います(´・ω・)

      返信
  4. 千葉滝田城

    完笑。続きも楽しみにしています。最近またやり始めていますが、個人的に群雄集結の上級弱小大名はかなり厳しいですね。これで終わりなんでしたらチャレンジしてみてください笑

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >千葉滝田城さん
      コメントありがとうございます!

      意外と続きもありました……。
      群雄集結、厳しいのですね。あまりプレイしていないので、そのうちにチャレンジしてみたいですね。ただプレイリポートの形にするかはまだちょっとわかりません。

      読んでいただいてありがとうございます!mm

      返信

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