【三浦家の野望】その9 窮状をこえて

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1535年9月、三浦貞久は、貞盛から中村則治に怪しい動きが目立つという報告を受けていました。

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※単に則治が挙動不審なだけでは?

 

そこで貞久は、則治を新たに得た羽衣石城の城主に任命。なんとか忠誠を得ます。

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※金銭に余裕のない三浦家には、所領を与えることしかできない。ここで則治に離脱されるわけにはいかないので、行松正盛には我慢してもらう。

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※ただちに羽衣石城へ向かいます。一城の主として恥じぬ働きをいたします

 

その羽衣石城は、先の戦いによってかなり傷んでいました。貞久は米を売って資金をつくり、さっそく則治に城の修繕を命じます。2ヶ月後には、羽衣石城は元通りの姿になりました。

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※焼け石に水な気もするが、やらないよりはマシだろう。この経験を通して、則治は敏腕になった。

 

 

 

さて三浦家は領土拡大には成功したものの、周辺国とわたりあうにはまだまだ力不足です。兵数は1400ほど。敵対する尼子家の兵はおよそ15000です。

特に月山富田城の尼子経久は3500の兵を抱えていて、ここから攻められるわけにはいきません。貞久は月山富田城へと出陣、陽動を再開します。

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※もはや、月山富田城への略奪は貞久の日常となっている。つい逃げながら「ここで雌雄を決してくれよう!」と言っているが、雌雄は決しません。

貞久の陽動が功を奏したのか、三浦家は尼子から侵攻をうけることなく、領内の安定をはかることができました。

 

 

しかし翌年、1536年1月、高田城がふたたび三村家親から侵攻を受けます。三浦家は三村軍を会戦で迎えうちました。

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※三村家は尼子に従属している。尼子家の代理で攻めているのかもしれない。

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※また竹内久盛殿に夜襲が成功。どうも竹内久盛の知略が低いだけでなく、援軍に来ている虎倉衆の知略が高いので入れ知恵している可能性がある。

 

 

この会戦で、敵方の大将・三村家親は獅子奮迅の働きをみせます。家親の騎馬突撃と穿ち抜けをうけ、三浦家を支持する国人衆は壊滅。高田城の兵も158まで減りました。

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※三村家親、鬼神の如し……。

 

 

どうにか三村家の撃退に成功しましたが国人衆からの援軍が期待できなくなりました。兵が足りず、また侵攻をうければ防衛は厳しくなります。

高田城にほど近い尼子領・津山城には2700の兵が控えていて、ここから攻められれば防ぎきれないかもしれません。

そこで三浦家は備前・浦上家に津山城への攻撃を依頼します。政宗はこれを承諾。津山城へと兵を進め、誠久は攻撃をうけました。

これにより、ひとまず侵攻の食い止めをはかります。

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※浦上政宗の攻撃をうける尼子誠久。この時、かなり動転していたので早まった判断だったかもしれない。でもやむを得ない。

 

 

三浦家としては厳しい状況が続いていて、新たに味方をつくりたいところです。

周囲を見まわすと、以前は当家を敵視していた山名家が“信頼”の立場に変わっていました。

山名家は、羽衣石城を攻略されたことで当家とはしばらく断絶していました。しかしどうやら勢力が縮小したことで、かえって姿勢を軟化したようです。三浦家はこれを機会に、山名家に対して信用を築くことにしました。

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※羽衣石城を奪われたのに、なんとも心が広い名門・山名家。

 

 

そして1537年1月、三浦家は決断を下すことになります。

 

この時、周防の同盟国・大内家との同盟期限が残り5ヶ月に迫っていました。大内家との関係が切れれば、周囲の大名家との関係には変化が起きます。すくなくとも”共通の同盟国を持つ”を根拠とした山名家の信頼はなくなってしまいます。

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※三浦家はなんだかんだ言っても、大内家に助けられているのだ。

 

 

大内家との同盟が切れる前に、力をつけなければなりません。ここにいたって、三浦家は美作の主城・津山城の攻略を目指すことになりました。津山城は別の尼子領から孤立していて、尼子家も簡単には援軍を送ることはできないはずです。

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※尼子領・津山城は孤立しているものの猛将・尼子誠久が兵2700で守っているなかなかの堅城。耐久4000。ところでこの時代、津山城はあったのだろうか?

 

このとき三浦家は、浦上家と山名家、両家の信用を得て、援軍を頼める状態になっていました。この両家との共同攻撃ができれば、津山城攻略は十分狙えると踏みました。

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※浦上家は兵数6900。山名家には6200の兵の用意がある。

 

方針は、まず浦上家に援軍を要請。それで兵が足りなかった場合は山名家へ追加で援軍を依頼します。

問題は、この侵攻によって尼子家とその従属勢力・三村家がどう動くかです。これは総力戦になるので、三浦領の守りはがら空きになります。いざとなれば城を捨てる覚悟の、捨て身の侵攻なのです。

 

 

1537年1月、三浦家は津山城にむけて、領内から1700の兵を出陣しました。さらに浦上家に援軍を要請。浦上家も応えて兵を出します。三浦・浦上の連合軍による津山城攻略戦が始まりました。

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※津山城の周辺では一気に緊張が走る。失敗すれば窮地になるが、この侵攻を成功して尼子にひと太刀浴びせることができるか。

 

 

その間、当主・三浦貞久はあいかわらず月山富田城への陽動を続けます。自身は裏方にまわり、家臣たちに攻略を任せたのでした。

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※この重要な時こそ、陽動の熟練者が必要なんだよ!(?)

 

 

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【三浦家の野望】その9 窮状をこえて」への5件のフィードバック

  1. なみたろう

    まさに綱わたり・・・ヒヤヒヤしますね!

    中途採用の正盛が、もう譜代の家臣なみの風格が出ていますねw

    私もついにpk購入しましたが三浦家を選ぶ勇気は出ず(^_^;)

    無難に織田パパから始めることにしました。

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >なみたろうさん

      コメントありがとうございます!
      本当に、三浦家は常につな渡りです。
      尼子家と対立する厳しさを感じました。史実の三浦家は貞久が死亡したことで尼子家に従属していますが、それも仕方ないですよね。私もふいに従属したくなることがあります。

      正盛は爺顔なので貫禄がすごいですね。見なおしたら則治とペアルックみたいになっているので、そのせいで馴染んでいる可能性もあります。

      pkを購入されたということで、なみたろうさんがよいpkライフ(?)を送られるようお祈りしています!
      織田パパというと織田信秀でしょうか。いいと思います。無印とは少し違う部分もあるので、チュートリアルのプレイもおすすめです。

      返信
  2. 忍城

    軍団の凸って結構よくしゃべりますよね(笑)
    待機させてるだけなのにやたら気合い入ってたり…
    人間味があってとても面白いですが、反面、城主入れ替えの人事とか外交面がやたらデジタルなのが個人的には少し寂しく感じます
    まあゲーム的にあまり面倒になりすぎてもいけないので、難しい所だと思いますが…

    弱小プレイとしては、この辺のタイミング間違えたら終わるってあたりが最高のヒリヒリポイントではないでしょうか(笑)

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >忍城さん

      コメントありがとうございます!

      凸の吹き出しにはなんだかニヤニヤさせられています。好みの機能です。
      有名武将だと固有のセリフがあったり、意外とこだわって作られていてほっこり笑えます。

      城主の入れ替えとか、細かいところで不満を抱く、くらいはあってほしいですよね。
      勢力が内部から崩壊するのがイベント以外でも起きればいいのにとさえ思います。戦国伝の妨げになるしとんでもないカオスになりそうですけど(^_^;) また、そうなると弱小でクリアできなくなるかもしれませんね。。
      いまの仕様はゲームとしては丁度いいので、次もこのバランスを崩さずにいいものを期待したいところです。

      >この辺のタイミング間違えたら終わるってあたりが最高のヒリヒリポイントでは
      もう、ヒリヒリです。ここが醍醐味ですね。。

      返信
  3. 志賀親次

    津山城は1444年に築城完了してます 現在のような近世城郭になったのは江戸ですけど

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