【三浦家の野望】その10 美作に咲く

1537年2月、三浦・浦上の連合軍は津山城に到達します。周囲の勢力はこの侵攻に合わせて警戒の兵を出しましたが、津山城までは向かってこないようです。

連合軍は津山城を守る尼子誠久に対して、会戦をしかけます。

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津山城攻略戦

三浦・浦上連合軍(兵数4981)

  • 行松正盛(兵数800)
  • 浦上宗景(兵数881)
  • 虎倉頭領(兵数1300)
  • 三浦貞盛(兵数900)
  • 浦上政宗(兵数1100)

尼子軍(兵数1999)

  • 尼子誠久(兵数1783)
  • 原田忠長(兵数216)

 

敵の援軍がないので、連合軍はかなり有利な状況です。この兵数差であれば楽に勝てるとは思いますが、会戦のあと津山城を包囲することを考えると、できるだけ被害をおさえて会戦に勝利したいところです。

問題は津山城主・尼子誠久です。武勇に優れ、戦法は乱戦を強化する『急襲』。乱戦に持ち込まれると危険です。しかし、騎馬隊を配備しているのでまず間違いなく突撃して乱戦をしかけてくるでしょう。

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※尼子誠久は”新宮党”と呼ばれ恐れられている戦闘集団の若頭領。かなりの戦闘能力を誇る。

 

そこで浦上軍・浦上宗景の戦法『足止め』によって動きを封じます。突撃に気をつけ、包囲すれば勝てるはず。あわてず対処したいところです。

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※足止めは前方の敵の速度を弱化する戦法。

 

 

さて会戦が始まると、やはり尼子誠久は正面の浦上宗景に突撃をしかけてきました。宗景はこれに対して、予定どおり『足止め』で動きを封じて直撃を避けます。

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※でも、ちょっとかすった。

 

連合軍は突撃を繰り返す尼子誠久に苦戦しますが、敵部隊が重なったところをみはからって中村則治が『離間』を発動して同士討ちをしかけます。

この同士討ちによって尼子軍・尼子誠久と原田忠長は衝突し、忠長隊は壊滅しました。

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※画像中央の敵2部隊は中村則治の巣の中に入った。

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※横暴な新宮党に不満を持っているものを煽れば、敵を崩すのは簡単なのだぞい。

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※こうして尼子誠久隊もだいぶ傷ついたのだった。

 

 

 

その後、浦上宗景は壊滅してしまいましたが、戦場には浦上家当主・浦上政宗が到着。

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※戦場に、13歳大名・浦上政宗も参上!

 

突撃を連発して疲れた誠久は4部隊に囲まれて壊滅。三浦・浦上連合軍は3245の兵を残して尼子軍に勝利したのでした。

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※尼子誠久「ちっ……退くしかないみたいだな」

 

 

会戦に勝利した連合軍は、その勢いに乗じて津山城の城門を攻撃。津山城の耐久値に被害を与えます。

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※耐久:4000→2378 ごっそり減らした。

 

これで津山城の包囲は完成しました。あとは城兵が音を上げ、落城するのを待つだけです。

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※包囲を続けると城の上に表示されている黄色いゲージが減少する。ゲージがなくなれば落城となる。

 

しかし、ここで警戒に出ていた山名家当主・山名祐豊が動きはじめます。祐豊はおよそ1500の兵をひきいて津山城へと向かってきました。どうやら尼子経久による津山城防衛の援軍要請に応えたようです。

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※過去を水に流す人のよい山名祐豊。

 

三浦貞久はこれを受けて、こちらも山名家に援軍要請の使者をだしました。いったん停戦するためです。要請先はどこでもいいのですが、とりあえず姫路への攻撃を依頼して両家は6ヶ月間の停戦状態となりました。

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※この戦に関係のない赤松領・姫路城は、とばっちりをこうむった。

 

翌月、山名祐豊隊は津山城に到着します。停戦が効いているため、両軍の間には合戦は起きません。連合軍はそのまま津山城の包囲を続けました。

ところが、しばらくすると包囲が解かれてしまいます。接触した山名祐豊と浦上政宗が停戦を交わしていないせいで、城下で何らかの問題が起きているのでしょう。山名軍と浦上軍は合戦もせず、そのままにらみ合いが続きました。

しかたなく三浦軍は、一度城の包囲を抜けます。すると、津山城下で浦上政宗と山名祐豊が合戦を始めました。

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※ややこしいことになってしまった……。

 

しばらくすると、兵を失った浦上政宗は撤退。山名祐豊が津山城下に入ります。三浦軍はそこを見らって津山城への攻撃を再開。ふたたび包囲することに成功します。

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※「城下を焼き払うのだ!」敵の援軍も、停戦状態だと包囲を邪魔することはない。三浦軍はいったん包囲から離れたものの、ゲージはそのままだった。

 

そして1537年7月、およそ5ヶ月におよぶ攻略がみのり、津山城は落城。三浦家による美作統一がなされたのでした。

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※「津山城、我が手に落ちたぞ!」あまり活躍していない貞盛が自分の手柄のように落城を報告。ともあれ、三浦家もついに本城を得た。

 

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【三浦家の野望】その10 美作に咲く」への6件のフィードバック

  1. 匿名

    おおっ……津山落城おめでとうございます!
    正直ムリだと思ってました。弱小プレイだと強い武将がいないので
    (このゲーム、知名度と美形度と能力値が比例している気がします)
    兵数以上に実際の戦力差が激しいんですよね。
    無い無い尽くしの三浦家で、尼子の本城を攻略しちゃう手腕に感服。

    「もうクリアしたも同然じゃないか?」と調子に乗りかけましたが、
    冷静に考えるとそんなわけはないですね……。応援してます!

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      コメントありがとうございます! どうにか落城しました!

      知名度、美形度……による武将の能力値補正、かなりあると思います。しょうがないことですが、もし貞久や貞盛が美形武将だったなら少しはプレイも楽でしょう。三浦家はただでさえ国力に劣るのに、能力でもグラフィックでも負けているという三重苦のつらい立場になっています。

      弱小で大勢力に対向するためにはその差をなんとかしなければなりませんが、今回もそれを会戦で補っています。会戦がなければこの状況では攻めきれず滅亡。。していたかもしれません(^_^;)

      >「もうクリアしたも同然じゃないか?」と調子に乗りかけましたが、
      >冷静に考えるとそんなわけはないですね……。
      その通りです! この時点でも三浦家と尼子家との戦力差はまだまだ開きがあるのです。。

      応援していただき、ありがとうございます!mm

      返信
  2. なみたろう

    おお!ついに本城ゲットですね~。

    中村則治の巣w
    したり顔で放つ離間がいい味でてます(笑)

    無印では存在感のない戦法でしたけどね。

    けっこうpkで戦法の効果が変わってるので戸惑ってます(^_^;)

    そしてまた、貞盛がやってくれましたね~w

    冷めた顔で、しかもほとんど何もしてないのに勝鬨上げちゃってるしw

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >なみたろうさん
      コメントありがとうございます!

      中村則治の活躍によって(?) ようやく本城を攻略しました!
      普段は少し政治ができるくらいの人なのですが、三浦家中では完全に会戦要員として輝いています。

      pkの戦法は、たしかに役割が変わりましたね。私もpk初プレイの時に『臨戦』の微妙さにうろたえたことを思いだしました^_^;
      会戦は方向転換や移動がけっこうクセモノなので、そのあたりの慣れにも少し時間がかかるかもしれないです。でも、そこに慣れれば、なかなか楽しめると思います。

      貞久はすこし浮かれているようですね。。(-_-;) しかし、津山城を落城したのは凄いですし包囲軍の指揮をとっていたことは間違いないので許しました。

      返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >道産子さん
      コメントありがとうございます!書いてる人です。
      弱小では会戦で勝てないと厳しい場面が多いので、わりと頑張っています。そのせいか会戦ばかりやっているので、けっこう慣れてしまったかもしれません……(_ _)

      返信

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