【大崎家の野望】その11 名家再興

大崎義隆は先の戦で捕縛した武将を解放しました。

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※戸蒔義広「慈悲深きお方なのですね 礼を言わせていただきます」 どことなく皮肉っぽいが、戸蒔義広には親大崎派となって宣伝活動を頑張って欲しい。

 

大崎家は伊達家との停戦期間中、領内の再開発を行いました。外交面では佐竹家へと接近します。

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※家宝を送って機嫌をとりながら外交し、佐竹家の信用を得ることに成功した。

 

そして2ヶ月が経過し、大崎家にとって思わぬ動きがありました。

1591年10月、蘆名家が田村領・三春城へと侵攻を開始。侵攻を受けた田村家は伊達家に援軍を要請します。伊達政宗は要請を受けて、自ら出陣。三春城に援軍を出しました。

政宗は自軍に倍する蘆名の軍勢を撃退しますが、その攻防は6ヶ月間にも及びました。

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この援軍は、伊達領内の兵力の半数近くを動員したものです。これは大崎家への隙となりました。

 

そして1592年2月。伊達政宗が三春城下を守る状態で、当家と伊達家との停戦が解消されます。当家はその解消と同時に7000の兵で伊達領・米沢城へと侵攻。

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しかし、米沢城には北方からおよそ5000の軍勢が迫っていました。それは越後・上杉家が伊達家に向けた援軍です。伊達政宗も、徒手で田村家へと援軍に出向いたわけではありませんでした。ただ、当家もこの援軍は想定済みです。

義隆は佐竹義重へと早馬を走らせ、上杉家との停戦仲介を依頼。上杉家はこの仲介によって、当家に手出しができない状態となりました。

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※佐竹家の信用80を消費して、上杉家と停戦した。佐竹家への接近は、このための布石である。ちなみに佐竹家は、伊達家の同盟相手。この停戦は、佐竹義重が伊達政宗を切りすてる非情な一手だった。

 

援軍を失った米沢城には、なすすべもありません。大崎軍の強行にたえかねて、米沢城は炎上。ついに伊達家の本拠地が陥落します。

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※義隆も包囲に参加したかったけど、右端にちょろっと居るだけである。上杉家が邪魔で包囲に参加できないのだ。伊達政宗の最後の抵抗とも言える。

 

本拠を失った伊達家には、もはや大崎家に抗う力は残されていません。一栗高春が最後の伊達領・相馬中村城を攻略。

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※相変わらずアピールがうまい一栗高春が伊達家にとどめを刺した。

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※「1592年6月、伊達家は大崎家によって滅ぼされました」ついに伊達家は滅亡しました。

 

 

大崎義隆の決起から5年。ついに大崎家は伊達家を下しました。保守大名である大崎家中には、伊達領に残された教会や大聖堂の影響を受けて、新たな風が吹き込もうとしていました。

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※保守→中道

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※とりあえず伊達家は滅亡。プレイ目標は達成。

 

そして、大崎家の独立に尽力した宿将・一栗放牛は伊達家の滅亡を見届けて、その生涯を終えたのでした。

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※「ふふ、大往生よ……」一栗放牛、93歳。

 

 


 

 

プレイ目標だった『伊達家を滅亡させる』を達成したので、大乱成就_私と誰かの野望の『大崎家の野望』はこれで終了です。ここまで読んでくれた方、いらっしゃいましたらお疲れさまでした&ありがとうございました。

私も疲れました(笑) 雑なところは修正するかもしれないし、しないかもしれません。たぶんしません。続きがあるとしたら、アップデート後のプレイになります。でもアップデートは今日ですね。

 


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