1559年1月。秋月軍は日隈城を攻略中ですが、年をまたぐことになりました。秋山領では数人の武将が元服します。
原田親種の元服
中でも注目すべきは原田隆種の嫡子・原田親種。
※たぶん今作から登場。武勇81の猛将(16歳)。他では切腹の後に腸を敵に投げつけた壮絶な逸話はあるが、親種の場合は大友に敗北した後に櫓にのぼり自分の首を自分で切り落として投げつけたという(やばい)武将である。
元服
今作では元服した武将が複数人いても、「見どころのある武将」だけが大名に挨拶に来ます。その他の元服武将は省略されます。
※「お暇がございましたらお確かめください」元服武将たちの列伝と能力くらいは見せてもらいたい。報告をするのは日高喜(ひだかこのむ)。兜も名前も個性的だ。
朝廷からの使者
さらに朝廷から使者も来ました。
使者は「治部少丞」を条件に12000の献金をもとめてきました。
官位
今作では公家が訪ねてきた時に官位をもらう機会を得ます。この来訪は基本的に受け身ですが、方策で公家が訪れやすくなるというものもあります(『禁裏外交』など)。
官位自体は配下に譲り渡すこともできなくて効果はよくわかりません。何かしらにプラス効果があるのかもしれません。ちなみに関白も同じように金で買います。
※麻呂様も、はるばる九州までご苦労なことである。周辺の大名家もまわっているのだとしたら、官位を売り物にした行商人みたいだ。
しかし今は戦の真っ最中。戦費が足りなくなりそうなのでこの誘いは拒否。公家は「次は色よい返事を聞かせてくだされ」と言い残して秋月城をあとにしたのでした。
さて日隈城を秋月種実が包囲しています。包囲の最中に大友家から講和の使者が来ましたが兵糧3000というひどい条件だったので拒否しました。
秋月軍は日隈城を強行して落城。四国から引き返してくる大友軍を迎え撃つ準備をはじめました。
それからほどなくして、大友義鎮が日隈城に到着。決戦となります。
秋月種実と大友義鎮。両雄は月隈の地で衝突しました。
月隈の戦い(兵数上限9000)
秋月家(兵数13952)
- 秋月種実(858/ 74/ 112/ A)
- 鍋島直茂(898/ 89/ 120/ S)
- 龍造寺隆信(1318/ 103/ 105/ S)
- 成松信勝(1326/ 88/ 84/ A)
- 百武賢兼(1058/ 83/ 68/ B)
- 神代勝利(1118/ 77/ 103/ A)
- 納富信景(898/ 70/ 91/ B)
- 原田隆種(858/ 78/ 80/ B)
- 松浦隆信(668/ 57/ 75/ C)
大友・阿蘇家(兵数18302)
- 大友義鎮(3480/ 74/ 85/ B)
- 戸次鑑連(840/ 95/ 92/ A)
- 土持親成(1030/ 66/ 67/ C)
- 角隈石宗(890/ 51/ 90/ B)
- 小野鎮幸(790/ 77/ 70/ B)
- 吉弘鑑理(590/ 72/ 80/ C)
- 城井長房(340/ 60/ 54 / C)
- 内藤隆春(100/ 41/ 67/ C)
- 阿蘇惟豊(940/ 57/ 78/ C)
※秋月軍の能力が高いのは、たぶん足軽レベルが2だからです。
「月隈の戦い」は大友家との事実上の決戦になりそうです。
さて今回の決戦ですが、これまでとは少し違います。
今作は全国のマップが“郡”に分かれています。郡には兵数上限があり、いくら兵をひきいていても決戦の開始時には兵士数が上限に調整されます。(おそらく割合で調整される)
ということで秋月、大友両軍とも1万を超える兵をひきいていますが、決戦の地『月隈』の上限が9000のため両軍とも初期兵力9000で開始になるのです。
ちなみに9000からあぶれた兵は部隊を動かさないことで徐々に合流します。部隊を少しでも動かすと合流しなくなります。
大友軍は秋月軍より兵数は多いですが、この上限によって両軍の兵は互角。また秋月軍が陣を敷いているので、大友軍は陣を壊さなければなりません。移動を強いられるため大友軍の兵が部隊に合流することはなさそうです。
大友軍には大友義鎮とそれを支える雷神・戸次鑑連の両名将がいます。これまでの秋月家であれば対抗するのは難しかったでしょう。
ただ、秋月軍も勢力を拡大する過程で鍋島直茂、龍造寺隆信といった名将が加入しています。十分に対抗できる戦力がととのっているのです。
また、方策“精鋭足軽”を採用しているので足軽Lvが2。兵の強さでも優位にあります。さらに陣も敷いています。
兵数、武将の能力的にも秋月軍がかなり優勢の決戦になりそうです。作戦をたてるまでもなく、無陣形で迎え撃ちます。
決戦が始まりました。秋月軍はひとまず全軍待機。兵を合流して、衝突した時の兵数を増やすことに専念します。
※兵数の右側にある緑色の数字が合流できる兵数。少しずつ兵は増えてゆく。
合流がすすみ、2ターンも待機すると9000→9652になりました。
じっくりとかまえる秋月軍に対して大友軍は正面突破を目指します。総大将・大友義鎮みずから先陣を切ります。
なぜわかるかというと、斥候により敵の情報が伝わっているからです。
どうやら大友軍は軍を二手に分けているようです。川をへだてて左は大友義鎮、右は戸次鑑連が主力です。ここは大友義鎮を討ちます。右の陣は捨てて戦力を左に集中しました。
大友義鎮の暴走
兵を進めると大友義鎮はすぐに発見できました。義鎮は秋月軍に向かって突進。どうやら義鎮は劣勢の状況にあってこちらの総大将・秋月種実を狙い、兵数差で押し切ろうと考えたようです。
しかし秋月種実ひきいるは鉄砲隊。突っ込んできた義鎮にむけて一斉射撃をしかけます。
義鎮隊は鉄砲にひるまず突っ込んできます。
※凄まじい気迫(?)で秋月の懐に潜り込んできた大友宗麟。これが信仰の力だ! エイメン!
義鎮が深く入りこんできたところを納富、百武隊が退路をふさぎ、さらに側面を龍造寺隆信、鍋島直茂で固めます。義鎮を完全に包囲することに成功しました。
包囲の結果、義鎮隊の士気が減退。この窮地に大友の重臣たち――戸次鑑連らも別の陣に気を取られ、義鎮を救えません。
左翼でも敵部隊を圧倒し、形勢は秋月に傾きつつありました。
義鎮は包囲から逃れようと後退しようとしましたがさせません。しばらくすると士気が0になり潰走しました。
総大将が潰走・被害をうけると戦況が大きく悪化します。これで勝負は決しました。
こうして戦況は完全に秋月家に傾き、大友軍は敗走。
大友軍は大軍を活かしきれず。『月隈の戦い』を勝利で決着です。
※このような采配をしていては、いずれ仏罰が下ることだろう。エイメン!
評定
『月隈』の戦いからしばらくして評定がありました。
※「先の勝ち戦により、家中の士気が高まっております 今が戦支度に力を入れる機にございますぞ!」とオーラを出してやる気十分な納富信景。決戦に勝ったりするとコメントが特殊なものに変わることもあるのだ。
※だがやる気なさそうな顔をした鍋島直茂の提案がとんでもない数値に。合計は納富42、鍋島は80。鍋島つええ。
佐賀侵攻
月隈で大友義鎮を打ち破った秋月軍はそのまま西進。つづいて大友領・村中城の攻略をめざします。
村中城主・朝倉一玄と戦いになりましたが難なく撃破。包囲をはじめました。
一方、別で動いていた執行種兼隊(島津が主力の軍勢)は肥前鹿島城を攻略し秋月城にほどちかい大友領・岩屋城へ。岩屋城の包囲も完成し、いよいよ北九州の覇権も秋月文種のものになりつつあります。
包囲を続けていた種実のもとにはふたたび大友の軍勢が迫っていました。今度は一万田鑑実が総大将の軍勢です。佐賀で決戦になりました。
佐賀の戦い
秋月(兵数12618) 対 大友・阿蘇連合(兵数10399)
この戦いでは戸次鑑連と真正面から戦闘。
戸次鑑連は秋月陣中へまっすぐ向かってきました。阿蘇家の坊主・甲斐宗運の奮戦もあって秋月軍は苦戦を強いられました。
しかし結果を言えば、決戦で連敗して戦意を失っている大友軍は秋月軍の敵ではありませんでした。
秋月軍は突出した戸次鑑連に挟撃を食らわせて潰走に追い込みます。
一万田鑑実らは敗走して秋月軍は勝利。
そして大友家にとって、この決戦の敗北は屋台骨を揺るがす結果につながりました。
雷神の決断
『佐賀の戦い』が終わり、雷神・戸次鑑連は大友義鎮を見限って秋月家につくことを決めたのでした。
その後も決戦を経て、柳川城、岩屋城を相次いで攻略します。こうして北九州から大友家の影響力、その大部分を排除することに成功。
6月にもなるとだいぶ戦争が長期化したことで民衆の不満がたまります。
1559年7月、秋月家は大友家に使者を派遣して講和を結ぶことにしました。講和は締結。戦は終結したのです。
※金1000を渡しての講和。こちらから条件を指定できないので、仕方なく受け入れた。
この戦の結果、勢力図は塗り替えられ、北九州における秋月家の力はかなり強まりました。北九州の統一というエンディングも間近かと思いましたが、その前に阿蘇、大内、大友、そして島津との戦いが待ち受けています。
いつも見てます😃これからも頑張ってください🎵 エイメン❗
>日本一の兵さん
コメントありがとうございます! 書いている人です。
読んでいただいてありがとうございます! 更新も頑張……少しは頑張ります。エイメン!