【三浦貞広の野望2】その7 津山城の伏龍

☆前回の更新から間が空いてしまったので、状況確認から再開します。だいぶ忘れいてるので、前回以前の内容とかぶるところがあると思います。

 

状況確認

1573年4月


※三浦家の周辺

 

 

縛り

  • 会戦は年一回まで
  • 現在の三浦家に所属する、各最高能力値を超える武将の登用を禁止

 

三浦家の現状

三浦家は美作から備前・備中にまで勢力を拡大。

前回“岡山城の戦い”に勝利し、岡山城を攻め落としました。規模でいえば浦上家と同じくらいの勢力になりました。

外交面では中国地方の最大勢力である毛利家と同盟中。その庇護下にあるような状況です。

 

各勢力

三浦家

それなりに大きくなった日進月歩の三浦家。浦上家と対抗できるほどの兵力を得た。家臣たちも日進月歩で成長をとげており、戦国大名として戦えるようになってきた。今のところ、毛利家と同盟を継続中。


※武将たちは少しずつ能力値が上がっているが、まだまだ成長の余地あり。牧良長の武力は目をみはるものがあるが、政治の最高能力が65と、まだ低いのが不満点。老将となった三浦貞盛の日進月歩に期待。

 

浦上家

浦上家はかなり厳しい。毛利家との同盟はすでに解消。同盟国がなく、三浦家に岡山城を攻め落とされ、さらに四国の三好家が宇喜多領・下津井に上陸してくるなど、まさに四面楚歌、踏んだり蹴ったりの状況が続いている。


※周囲に敵しかいないので、客観的に見てかなり厳しい状況。与えられる領地もないので家臣たちの信頼も失いつつあり、外部にも内部にも問題がある。

 

毛利家

中国地方最大の勢力。これまでは全国最大の勢力だったが、織田家の台頭でその立ち位置に陰りが見えはじめた。兵数は1位でも、織田家に追い抜かれ、人口は2位、石高は3位である。


※毛利両川が支える毛利家。今後の動きに注視したいところ。

 

別所家

赤松家に従属する播磨の勢力。後藤勝元を寝返らせ美作の主城・津山城を得た。今では津山城が本拠になり、当主・別所長治は 三木城主 → 津山城主 への思い切った転身をはたす。

今後は攻略も視野に入れたいが、浦上家攻略が先決。攻略の対象とするかは、米と兵に相談する。


※美作津山城に居座り、三浦家とは国境線を接している。わけがわからない。

 

織田家

織田信長率いる最強の勢力。畿内にまで勢力を伸ばし、テンカフブの達成に邁進している。三浦家は毛利家と対抗するため、接近をもくろんでいる。


※三浦家はお近づきになりたいが、現状は遠すぎて外交ができない

 

周辺の状況

三浦家周辺も、慌ただしくなりつつあります。

三好家が下津井城で浦上家・宇喜多直家と戦闘中。城主・宇喜多直家は追い詰められつつあり、浦上当主・浦上宗景が援軍に向かっています。

東に目を向けると、織田家が籾井城へと攻め入っています。中国地方へ入るのも時間の問題です。


※勢力拡大を続ける織田家

現在は毛利家が中国地方の勢力を保っていますが、織田家が中国に入れば版図は塗り替えられることでしょう。


※三浦家は毛利家が支配する中国に、なんとか潜り込んでいる。しかし、このままだと織田家が中国入りするには、四国経由か日本海側をいくしかないのでは。

 

今後の方針

それなりの国力を得た三浦家ですが、まだまだ勢力拡大の余地があります。当面は浦上家の攻略を目指します。

そしていずれ毛利家との同盟を破棄し、その攻略を目指します。ゆくゆくは現在の毛利家の立ち位置を獲得するつもりです。

 

とは言っても、毛利家はまだまだ強大です。三浦家と戦力を比較してみると、その兵力差は10倍以上。直接ぶつかっても、相手にならないことは明白です。まだ同盟破棄はできません。


※月山富田城の兵力(予想9000)で、現在の三浦家全体を相手にできるほどである

今後は織田家に接近します。同盟を締結し、毛利と対抗します。

織田家が中国にたどり着くまでどれだけの時間がかかるか。その侵攻の具合で、毛利との手を切るタイミングは決まります。


※普通に考えれば工作をはじめた時点で毛利家に睨まれそうだ。

 

攻略先はかわらず浦上家です。攻略を果たすために、方策を練りたいところです。

三浦家と浦上家を比較すると、兵数はほぼ互角。武将の質においては三浦家が負けています。

毛利家に援軍を依頼する方法もありますが、できれば援軍は使いたくありません。プレイヤーの心情的によろしくないからです。

さて、前にも書いたと思いますが、浦上家にも弱点があります。明石全登、宇喜多直家ら、力ある家臣の忠誠を得られていないことです。

忠誠心の低い主力武将たちに密談を続け、不戦の約束を取り付けます。それが成功すれば、浦上家の攻略はそれほど難しくはないはずです。


今後の方針(まとめ)

  • 調略(武将への密談・交渉)をたよりとして浦上家の攻略を目指す
  • 毛利家との同盟は継続
  • 織田家と同盟を結ぶ

以前の方針は読み返していないですが、たぶん変わっていません。

 


 

1573年4月。

浦上軍を下して岡山城を攻め落とした三浦貞広は、残った手勢を率いて高田城に帰還。


※三浦貞広の手勢はわずか30。激戦だった。

 

攻略した岡山城には牧国信が入城。傷ついた岡山城の修復にあたります。


※兄、良長につづき、城代の地位についた牧国信。人が足りないこともあり、一人で岡山城を開発することになる。これまで統率を伸ばしていたが、政治能力を伸ばす方向に切り替えになった。

 

これからさらに浦上家を攻めていきますが、まずは浦上家の本拠地・天神山城から遠い下津井城を攻め落としたいところ。決着に向けて、国力を削いでいきます。

 

その下津井城は、三好家が攻めています。しかし、浦上宗景の援軍が間に合いそうなので落城はしなそうです。三浦家はこれを傍観。

兵の回復を待ち、のちに下津井城をいただくという算段です。


※下津井城はそれなりに危機に。浦上宗景が5300の兵を率いて援軍に向かう。

 

三好家の勢力は瀬戸内海を挟んで下津井城と隣接しています。三浦家は三好家に向けて外交工作をしていました。

三浦家が下津井城を攻め落とした後のことを考えても、三好家とは外交を続けて損はなさそうです。

さらに浦上領・三石城の明石全登へ密談を継続。三浦領内の兵力が回復するまでは、地道な工作を続けるつもりです。

 


 

それからわずかのことでした。三浦貞広が帰城する途上の1573年4月中旬。急報が舞い込みます。


※岡山城代・牧国信の受難。

 

“岡山城の戦い”の時、金川まで警戒に出ていた津山城主・別所長治がそのまま南下。弱った岡山城を狙い侵攻をはじめたのです。


※3800の兵で岡山城に攻め寄せる別所長治。

 

敵将・別所長治は統率力にすぐれた名将です。津山城兵は練度も高く、傷ついた三浦家では、抑えきれそうにありません。

三浦家はこの事態に直面して毛利家に援軍を要請。


※プレイ方針に逆らい、さっそく毛利家に頼った。

 

その結果、備中高松城から清水宗治が5200の兵を率いて出陣。兵力差に動揺した別所長治は一戦も交えることなく撤退します。

それを見とどけた清水宗治も高松城へと帰城。

 

めでたく長治を戦わずして撃退し、岡山城はことなきを得たかに思われました。

 

 

しかし、これは別所長治の策略でした。清水宗治が帰城するのを確認すると、別所長治はすぐに兵を反転。

 


 

高松城に帰城した清水宗治はそこから動くことはありません。

別所長治は岡山城下に布陣。岡山城はそのまま長治隊に包囲されたのです。


※「敵に囲まれましたか……」援軍をたよりに出兵を渋った結果、岡山城はさっそく敵に囲まれてしまったのだった。

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