某日、春の直江津。陽気に誘われるように景虎の養祖父、上杉憲政が来訪。
その目的は、物資の無心でした。
※憲政は景虎にとって義父の義父。こんなに腰を低くされては、断ることはできない。
※「ありがたいことです この御恩、いつかお返しいたします」素直に渡すことにしたが、完全に覇気を失った憲政の姿に哀しみ。
後日、上杉領内にその話が広まったのか、直江津には無心を求めるものが次々と訪れるようになりました。景虎はその声にこたえて武将たちに物資をわけあたえます。
ばらまきによって、徐々に武将たちの信頼を得た景虎は、次期上杉家当主としての足場を固めつつありました。
さて前回、「進出の準備を整えよ」を達成したので、直江津では“進出”ができるようになりました。
直江津にある未開発の土地へと“進出”することによって、開発区画がひろがります。
※夢もひろがる進出コマンド。進出先にある資源も、完了するまではなにがあるかわからない。
景虎は新たに進出した区画に、商人街を建設。商業開発をすすめることにしました。
※商人街をたてると、商業値があがる。このようにレベルが低いと商業は50だが。
さらに、隣の区画に交易所を建設。商いを奨励し、金銭収入アップをはかりました。
※満足度が上がって施設レベルがあがった結果、50だった商業値が162になった。“交易所”は道沿いにしか建設できないが、周辺区画において“往来”の満足度がはねあがるのだ。
※これには井戸端会議をしているおばさま方も大満足。施設は開発具合によってグラフィックが変わる。人はちゃんと3Dだし、町並みのグラフィックも創造PKよりも力が入っていて綺麗。
1579年10月、直江津の開発をすすめる景虎のもとに、一通の書状が到着。その書状は上杉家当主・上杉謙信からの出陣の命でした。
飛騨、帰雲城主・内ヶ島氏理はこの侵攻をうけて、帰雲城の手前・白川の地に布陣。上杉家の軍勢を待ち受けていました。
伝令の報告によると、この戦いは上杉軍2000VS内ヶ島軍300。上杉軍が圧倒的に有利な状況です。
※なぜ呼び出されたのかわからないくらいの兵数差。景虎が出るまでもないと思うのだが―――そう考えた時には、参戦を断ることもできる。しかし、断るとしばらくハブにされてしまう。
景虎は参戦を決断。自領・直江津からかき集めた手勢500を率いて、ただちに合戦場へと向かいました。
※編成時には兵科と陣形をきめる。部隊は4つの“備”で構成。それぞれの“備”には兵科があって、自分で設定できる。陣形は条件を満たすと種類がふえるが、いまの景虎が組める陣形はこの3種だけ。そして家臣プレイの時は、“出陣”を押すとすぐに戦場に移動して、合戦がはじまるのだ。
にらみ合いを続けていた両軍は、景虎の到着と同時に開戦。
そして―――
※夜襲に成功したぞ! 敵は混乱しておる、一気に勝負を決めよ! あわれ内ヶ島氏理。
上杉軍の大将・斎藤朝信は、劣勢の内ヶ島氏理を完膚なきまでに叩きのめすことにしたようです。
※景虎はちょうど内ヶ島氏理の背後をついた。完全に甘やかされているが、これは誰がなんと言おうが景虎の手柄。軍神(父上)は言っている。ここで武勲を挙げよと……。
景虎は混乱している内ヶ島氏理に向けて斉射。せん滅をはかります。
※今作では、合戦中に左上にある“武将”ボタンを押すことによって、俯瞰から武将視点に切り替えることができる。武将視点にきりかえると“陣形”を変えたり、“戦術”を使えたりする。
※陣形の種類によって出てくる戦術は変わる。戦術とは、おもに斉射とか突撃である。今回は射撃がつよい鶴翼の陣。ここでは、斉射を発動した。
※みるみる脱落する内ヶ島の兵たち。勝負は一瞬にして決まった。
夜襲に混乱した内ヶ島氏理は、上杉景虎による弓斉射の前に統制を失って壊滅。こうして上杉軍は白川の野戦に勝利したのです。
※我こそが軍神の名を受け継ぎし上杉景虎だ! ―――さばかれた刺し身をつまんだだけの景虎。ともあれ上杉景虎の戦いは、ほぼ無傷の完勝に終わったのだった。
壊滅した内ヶ島氏理は命からがら帰雲城へと帰城。上杉軍はさらに歩を進め、帰雲城下へと進軍。攻城戦となりました。
上杉軍3517に対して帰雲城を防衛する内ケ島氏理は白川の敗戦でほぼ壊滅、手勢はわずかに166です。
※ある意味で有名な帰雲城。その攻略、この上杉景虎におまかせあれ!
>ある意味で有名な帰雲城。
ちょっと気になって調べてみました。
帰雲城は、1585年の巨大地震で山体崩落を起こして、城主内ヶ島氏もろとも滅んでるんですね。
木を切り倒して地肌をさらした山は自然の状態より格段にもろくなっていたことだろう、と思います。
>戊辰さん
コメントありがとうございます!
戦国時代、戦ではなくて自然災害で滅んでしまった帰雲城。と内ヶ島氏。
そのインパクトもあって一度聞いたらなかなか忘れられない名前だと思います。
帰雲城はゲーム中、飛騨でもっとも耐久値が高い堅城です。そこに哀愁も感じますね。。
上杉憲政は普通に仕事させられてるんですね…後の御館の乱の時に景虎を支持したらしいですがひょっとしたらこのことがきっかけだったのかもしれないですね(笑)
前の時のお小遣いといい、謙信公は景虎に甘いみたいですね?
>羽州の子狐さん
コメントありがとうございます!
先代関東管領、仕事してました……。
普請と言っても、何に使っているのかはわかりませんけれども。この(戦国立志伝の)武将たちもだいたい茶が好きなので、茶室か何かかもしれません。
謙信公は甘すぎです。かえって怖いですね。。
地震イベントで城の耐久値が下がる事って昔の信長の野望でよくありましたよね。
実際、石垣がよく崩れるみたいです。
地震でも崩れないほんとうの意味で堅牢な石垣ができるのは江戸時代になってからのようです。
>戊辰さん
前のプレイリポートで書いた美作三浦氏が断絶したのも、じつは地震によるものらしいです。(世継ぎの三浦桃寿丸が地震で圧死)
地震の影響ってけっこう大きいですね……。
城についても大地震ともなると、色々なところが傷みそうです。整備も大変そうです。