【三浦家の野望】その17 勇将は餅を得る

尼子から降った公文重忠は武勇にすぐれた勇将です。まだ三浦家に心服しているとは言えませんが、人材不足の三浦家にはありがたい存在。とりあえず高田城の防衛にあたらせました。

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※列伝を読むと、「貧乏で正月の餅つきができなかったという」。そのせいか政治は一桁の6しかない。しかしこの列伝、ひどすぎないだろうか。

 

さて、八橋城を攻略した三浦貞久は目標としていた『領土拡大』を達成。しかし、これで尼子家との戦いが終わったわけではありません。次の攻略方針を考える必要がありました。

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※「まだ本城を一つ奪ったのみにございます」貞盛に触発されたのか、山田重直までこんな野心的なことを言い始め、主君の尻を叩くのだった。

 

 

三浦家としては尼子家が疲弊している今、反撃に転じたいところです。現状、すぐに尼子を攻めるとすれば、月山富田城が攻略の目標になります。

しかし、尼子家の本拠・月山富田城は名城。その耐久値は1万を超えていて、簡単には落ちそうもありません。さらに三浦家は人材不足で、仮に落とせたとしてもその後の統治がままならないことが予想されます。

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※月山富田城は民忠も高く、兵の回復も早い。

 

そこで、まず南を攻めることにします。美作の南、備中には三村家の勢力があります。

三村家は三浦家にたびたび攻めてきましたが、耐久値6500の堅城に守られているうえ、尼子家に従属しているので、こちらから攻めることはできないでいました。

しかし、三浦家は力をつけ、動員できる兵も6000を超えています。さらに盟友・浦上家の援軍も期待できるので、今となっては備中の攻略は難しくないと踏みました。

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※優秀な家臣団を吸収して人材不足を解消したいという思わくもある。

 

三村家を攻略したらさらに西へ進み、備後・比熊山城の攻略。それから尼子家を東西から挟みこんで各城を攻めて、尼子家の滅亡をねらいます。

ちなみに、比熊山城にむかう途中には、毛利家の勢力があります。毛利家とは争うつもりはありませんが、毛利家は大内家の傘下に入っているので、直接の外交はできません。主家・大内家と同盟を結ぶことで同盟状態になります。

大内家とは勢力が離れていて外交ができません。近いうちに政策『遠交近攻』を採用し、大内家と同盟を結びなおします。そうなれば毛利家と衝突することはなく、安心して備後を攻めることができるはずです。

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※画像中央で少し黄色いのが尼子国久が守る比熊山城。ちなみにこの時代、比熊山城はまだ築城されてないらしいが気にしてはいけない。(すこし古い画像なので、八橋城は尼子領になっている)

 


 

 

さて、備中を攻撃するために、先の戦で傷ついた兵の回復を待たなければなりません。しばらく三浦領内の内政に注力。しかし、その途中で尼子詮久が三浦家の本拠・高田城へと攻撃をしかけてきました。

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※尼子詮久の高田城への執着はすさまじい。

 

 

高田城をまかされていた行松正盛は、公文重忠を副将として出陣。尼子軍の先鋒・手島興信に夜襲をしかけて撃退します。

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※優秀

 

さらに三浦貞久が八橋城から900の兵をひきいて援軍にかけつけ、高田城で尼子詮久を挟撃しました。詮久隊は2800。対する三浦軍は国人の援軍を合わせれば、兵数3000。負ける戦ではありません。

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しかし、尼子詮久も無策で高田城を攻めたわけではありませんでした。なんと、防衛していた行松正盛隊がここで戦闘を放棄。

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※「全軍、止まれ! 約定があるのだ。戦は控えろ」 当主の前で堂々と不戦をかます勇将・公文重忠。

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※「弁当を食べているとのこと」

 

 

行松正盛隊は高田城の手前、尼子詮久の隣に陣取って不戦を決め込みます。これで防衛の兵数は逆転し、こころもとなくなりました。

行松正盛隊の副将・公文重忠が尼子詮久と通じていると見て間違いありません。行松隊をいったん高田城に帰城させ、重忠を外しての再出陣をこころみます。しかし、行松隊は命令にそむき、帰城しません。

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※「城が危機に陥っている……今は戻っている暇などありませぬ」いや、危機に陥っている城の前で弁当を食べている場合でもないだろう!

 

もはや行松隊には戦力をのぞめません。貞久は国人衆・三星頭領とともに会戦を開くことにしました。

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※しかたない。詮久の青二才など、この貞久みずから蹴散らしてくれる!

 

しかしあえなく敗北。

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※詮久を甘くみていたわ……。

 

 

会戦に敗北した貞久は退却しましたが、その隙をついて、行松正盛隊は帰城。再出陣して尼子詮久を攻めると、詮久はようやくあきらめて撤退しました。こうして辛くも高田城は守られたのでした。

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※どうにか詮久を撃退。重忠を処罰したいところだが、人材不足のためにそうもいかない。これを見越していたなら、政治6とは思えない手腕。詮久から受け取った金で餅をつくのだろうか。

 

 

この高田城防衛に成功した翌月、1542年5月、津山城主・三浦貞盛が3400の兵をひきいて出陣。三浦家による備中侵攻が始まりました。

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※弟分っぽくなった山田重直をひきつれ、三浦貞盛が出陣した。

 


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【三浦家の野望】その17 勇将は餅を得る」への17件のフィードバック

  1. ななし

    お疲れ様です。楽しく見てます。城と武将が少ない上に山城なのはやっぱ辛いですね。

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >ななしさん
      コメントありがとうございます! 書いてる人です。

      山城はいろいろと不便なところもあるのですが、道も悪く守りやすくて防衛にはかなり貢献してくれています。ただ武将の数が少ないのは辛くて、この時点で城4に対して6人しかいないのです。。

      読んでくださってありがとうございます!mm

      返信
  2. 二本松義国

    正盛も重忠と一緒に弁当食っているのだろうか。

    列伝にユーモアがあると武将能力画面見て回るのも面白いですね。貧乏な重忠は支給された弁当に感動して夢中になってしまったのか?
    尼子家家臣だと山中鹿之介が好きなんだが定久公には、登場しない時代で良かったかもしれない。

    二本松家で奥州、関東を制覇したのですが、時間をかけ過ぎたせいで40万の軍で140万の織田軍を相手にせんとならなくなってしまいました。

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >二本松義国さん
      コメントありがとうございます!

      公文重忠への賄賂は弁当だった……!? 正盛まで弁当を食べている状況は、ほんとうに勘弁して欲しいところです。。

      列伝はけっこう覗きます。武将の数が1800を超えていて私の知らない武将も登場するので楽しいです。
      尼子軍の中に山中鹿之介が居れば、貞久もさらなる七難八苦を味わうことになっていたことでしょう。

      奥州・関東の制覇、おめでとうございます! しかし織田信長との兵数差が3倍以上……。信長は特性『創造』を覚えるし、ハードな状況ですね。なんとか『本能寺の変』まで耐えるのが無難でしょうか。健闘をお祈りします(―人―)

      返信
      1. 二本松義国

        そうしたい所なんですが、光秀は織田に従属する朝倉家におり、毛利家は既に織田家に吸収されているので本能寺の変は、絶望的です。

        さらには、寿命なし、討ち死になし、斬首せずの縛りでプレイしてるので織田家の名将が幾度となく攻めてきます。

        因みに、桶狭間の戦いで始めたので上杉、毛利、長宗我部を含む西国の武将は織田に飲まれました。残る反織田勢力は二本松、武田、島津です、どうしましょう。

        返信
        1. 木坂万倉 投稿作成者

          >二本松義国さん

          つらい状況ですね。しかも縛りプレイだったのですね。その条件でプレイしたことがないので何ともいえないのですが(^_^;) まず戦力差をひっくり返すのに、手っ取り早いのは大会戦で勝つことだと思います。

          あるいは朝倉家を滅亡させて明智光秀を解放すれば、織田家が登用して、本能寺の変が起きる可能性もあるのではないでしょうか。北陸まで兵をすすめられるかは勢力図にもよりますが、会戦での攻略が難しいのであれば狙う価値はあると思います。

          そのために、朝倉家を滅亡させなければなりません。停戦を使ってみてはどうでしょう。主家と停戦をしている間にも従属している勢力を攻めることはできます(同盟すると攻めれなかったと思います)。ちょっとずるい方法ですが。

          かりに朝倉家までの城を織田家が占拠していたとしても、停戦期間中にそこをスルーして朝倉家の城を攻略できないでしょうか。もちろん、部隊は『電光石火』や『神速』など、行軍を早くする特性をもった武将を選びます。
          停戦は朝廷におねがいします。その停戦期間に家宝を購入。断絶がおわるのをみはからって織田家に贈り、さらに援軍による停戦をねらえば、なんとか……なるかもしれません。ならないかもしれません。頑張ってください!

          返信
        2. 木坂万倉 投稿作成者

          >二本松義国さん

          ちなみに、マニアックスによれば「本能寺の変」発生のために毛利家が存命している必要はありません。ただ、一乗谷城を織田家が所有していなければならない、徳川家康が大名、などの条件はあります。もし徳川家が滅亡していたら、発生は絶望的です。。

          返信
          1. 二本松義国

            武田と連携しつつ、三河まで兵を進め徳川攻めの最中だったんですが徳川攻めを中止して、武田領経由で一乗谷を攻め明智を解放し城を放棄すれば行けるかも。

            因みに、織田との彼我戦力差は60万と135万まで縮まりました。

            しかし、強大な勢力を相手にするのも燃えますし、迷います。

  3. 忍城

    私もその餅つき列伝はかなり印象に残りました(笑)
    おそらく他に貧しかった人なんていくらでも居たでしょうに、あえて列伝になっているというのは哀愁を感じざるを得ません…
    勇将というのもポイント高いです

    敵の代替わりに合わせたかのような夜襲返しは、勢力自体の勢いを表しているようで、感慨深いものがありますね

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >忍城さん
      コメントありがとうございます!

      この列伝、印象に残りますよね。ネタになってる感じもありますが、列伝に書かれているということはおそらくどこかの資料に書かれているのでしょう。なぜ餅をつけなかったという記述が書き残されているのでしょうか……。そのあたりも気になるところです。

      尼子家の勢いはおとろえてきています。経久から夜襲をうけたことも懐かしくなりますね。この防衛の成功をきっかけに、このまま覇権を握りたいところです。

      返信
  4. 相模原

    いよいよ備中侵攻ですね
    三村家は堅城ですけど尼子の援軍があるのか
    それによって結構変わってきますよね

    しかしまぁ危険にさらされている城の前で弁当ないし餅をどうやって食べていたのか気になりますね
    正盛も同じ寝返り組として仲良く弁当を食べていたといったところでしょうか

    さて、軍神様を吸収し七尾、一乗谷を手に入れたところで武田、今川(桶狭間が起こらず義元は生きてます)、北条、佐竹の連合と伊達、織田、南部、蘆名の連合で大いに争ってますが、椎名家は武田とは婚姻、織田とは同盟関係にあり戦闘に参加していません
    当家が狙っている春日山や高遠、葛尾、清洲は疲弊しており今攻めれば確実に落ちるところにあります
    普通にいけば武田側につき織田を攻めて畿内まで行くのがいいんでしょうけど、最大の目標であった当初の主家長尾を滅ぼす
    それは達成しましたけど、春日山を取って名実共に北越の覇者になりたいという思いもあります
    どちらの方がいいでしょうか

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >相模原さん
      コメントありがとうございます!

      三村家には苦しめられてきましたが、ようやくこちらから攻めることができます。尼子家の援軍は、高田城侵攻に失敗したあとで兵もそれほど残っていないので余力がない……と見ていました。

      公文重忠は弁当をたべていたわけではなく、戦場で餅をついていた可能性もあるのですね。盲点でした(?) 正盛はわけの分からないことを言っていましたが、寝返ったのではないと信じたいです。。

      相模原さんのプレイは面白いことになっていますね! 椎名家でよくぞそこまで……。
      もちろん、心のおもむくままに進まれるのがよいかと思います。下克上をはたし、北越の覇者となってその後は……。燃えますね。燃えませんか?(^_^;)

      返信
  5. なみたろう

    新キャラ公文重忠やってくれますね~w

    しかし列伝で貧乏って書かれるなんて・・・地震で滅亡しちゃった
    あの人に匹敵するインパクトですね。

    それにしてもオモシロ顔の山田さんまであんな発言するとは・・・(笑)

    三浦家は貞盛のアグレッシブさが他の武将にも伝染してきてるようですね!

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >なみたろうさん
      コメントありがとうございます!

      公文重忠、やってくれました。
      あの人とは、あの人ですよね。貧乏と書かれてしまう公文重忠もなかなかのものですが、さすがにインパクトで言えばあの人にはかなわない気もします。

      山田重直も貞盛の影響をうけているのかもしれません。
      おそらく意識の高い貞盛が独自に講義でも開き、周囲の武将を巻き込んでいるのでしょう。。

      返信
  6. カキツバタ

    初めまして!いつも楽しく拝見させていただいてます。
    創造のブログがあまり見ないので、うれしいです^^
    列伝、餅とか地震とか初めて見ました!僕が見た中で印象に残ってる列伝は、真田の家臣で、下駄を投げつけられて歯が欠けてしまった(名前忘れた><)って人ですね^^

    返信
    1. 木坂万倉 投稿作成者

      >カキツバタさん
      はじめまして! コメントありがとうございます! 書いてる人です。

      下駄を投げつけられて歯が欠けてしまった……!? 誰でしょう。確かに印象には残りますけど、またひどい列伝もあるものです。下駄が顔面に当たるまでに何があったのでしょうか……。

      このブログも最近更新が無いのですが、『三浦家の野望』もいつかは完結するはずです。。
      読んでいただいてありがとうございます!

      返信

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