1537年8月、三浦領内には堺の商人・津田宗及が滞在していました。三浦貞久は宗及に家宝の購入をすすめられます。
※「今日はええ品が手に入りましたんで是非ご覧になってください」ほほう、どれどれ
しかし、津田宗及の用意した家宝はいずれも金8000をこえる価格の名品。金銭に余裕のない三浦家は購入を見送ります。
※「私が用意できるのは、こちらでございます」金8000というと、三浦家では収入を1年貯めてようやく買える額。こんなもん買えるか!
さて、三浦家は美作の主城・津山城を攻略しましたが、いぜん守りはこころもとなく、この時点では尼子のおよそ10分の1程度。いつどこから攻められてもおかしくない状況にありました。
さらに8月の時点で大内家との同盟が切れ、孤立しています。
三浦貞久はひとまず因幡・山名家に接近し、尼子家への備えとすることにしました。およそ2ヶ月の外交工作によって、山名家には援軍を要請できる状態になります。
そして津山城には三浦貞盛が入城。城の補修・開発をいそぎます。
※長期間の包囲によって、津山城の民忠は32。貞盛は傷ついた津山城の復旧作業に追われた。
翌9月には長女・福が髪結を終えました。家中は安定をむかえるかに思われました。
しかし2ヶ月後の1537年11月、貞久のもとに敵襲来の報が舞いこみます。ふたたび尼子軍が総勢およそ4000の兵を動員。三浦家の本拠・高田城を狙い進軍してきたのです。
※我らの高田城を目指し総勢4000の敵が攻め寄せてくるか……! といってもかなりの誤差があり、実際には6000くらいの兵だろう。
このとき、三浦家は津山城侵攻による傷が回復していません。動員できる兵はかき集めて3000ほど。国人衆から2500ほどの援軍が期待できますが、敵の実数を考えると苦しい戦いになりそうです。
また、防衛には津山城の兵も動員する必要があります。最悪の場合を考えると留守の津山城を備前の浦上家に攻撃されるおそれもあります。こうなると、津山城の防衛も厳しくなります。
※以前は味方としてともに津山城を攻略したが、今は”普通”の態度。いつ攻めてきてもおかしくはない。
しかし、三浦家にとって本拠である高田城を攻め落とされるのは耐えがたい屈辱なので、貞久は高田城防衛を優先。津山城からも兵を出すことに決めました。
一方、防衛が手薄になるのは尼子も同じことです。周辺国がこの背後を突けば領地拡大の好機になりそうなものですが、主だった動きがありません。
安芸・毛利家は静観。周防・大内家は兵を出しては引き返すという謎の行動を繰りかえしていました。唯一、小早川家だけが尼子領・翁山城に攻め入ります。
その後、貞久のもとにはさらに尼子経久が高田城に向かってくるという報告まで届きます。
※「尼子経久隊が3300の兵で攻め寄せてくるか……!」 おまけで孫の詮久までついてきた。これはまずい。
貞久はこの侵攻をうけ、山名家に八橋城への陽動攻撃を依頼。山名祐豊は三浦家の要請に応じて、自ら1500の兵をひきい八橋城へ向かいました。
その結果、いったんは高田城へ兵を進めていた尼子経久、詮久が八橋城の防衛にまわります。これでひとまず、謀聖・尼子経久の攻撃を受けずにすみました。
さて高田城には、尼子国久、誠久の親子が迫っていました。その総勢は4044。三浦の兵も4000程度です。
尼子には、さらに後詰があります、それを考えると、ここは正攻法では厳しいかもしれません。三浦家は同士討ちによる撃退をめざし、会戦をしかけました。
※三浦軍3400VS尼子軍4044。劣勢だが、どうにか撃退しなければならない。
ところが、同士討ちは失敗に終わります。作戦ミスが重なり、敵を誘いこむことができませんでした。三浦軍は尼子国久の『穿ち抜け』、誠久の『急襲』をうけ、次々に壊滅。
※我ら新宮党の力を見よ!(まだ新宮党とは呼ばれていないけど)
貞久も最後まで逆転の機会を探りますが、それもかなわず、全滅してしまいます。
しかしこの戦いによって、4200あった尼子兵は1600まで減少しました。三浦軍の後続・行松正盛が到着すると、貞久も100の兵をひきいて出陣。美作の国人・小田草頭領の助力も得て、なんとか防衛に成功します。
その後、あとからやって来た赤穴光清もどうにか撃退。しかし、度重なる防戦によって三浦家や三浦家を支持する国人衆は満身創痍となってしまいました。
八橋城で山名祐豊をしりぞけた尼子経久が高田城に侵攻したのはこの防衛戦の2ヶ月後、1538年3月のことでした。
※我らの高田城を目指し総勢3800の敵が攻め寄せてくるか……!
三浦家はこれにそなえて高田城を修復。三浦貞久、貞盛の兄弟は尼子経久に対して、高田城下で会戦を挑みます。しかし、こちらは兵数1200。尼子軍は3800以上で、3倍以上の兵力差です。
勝ち目は薄いですが、修復が間に合って高田城の耐久値は1900。同士討ちで少しでも尼子兵を減らし、防衛したいところです。
※寡兵ながら「尼子経久 その首、差し出すがよい!」と、三浦貞盛は強気。
―――ところが。
三浦軍は尼子経久の夜襲を受けてしまいます。三浦軍は経久に対して全く歯が立たず、敗北。高田城は経久に包囲され、あえなく陥落したのでした。
※また高田城が落城。貞久は屈辱をこらえ、羽衣石城に逃れたのだった。
離間って重いコストとかなり短い効果時間で扱いが難しいですよね
うまく乱戦同士討ちに持ち込めれば熱いですし、ロマンは十分なのですが…
しかし、それに賭ける以外道無しってのもまた弱小の醍醐味ですよね(笑)
夜襲返り討ちからの落城の流れに戦国のリアルを感じました…これが本来の姿なんでしょうから…
逆襲のif期待しております!
>忍城さん
コメントありがとうございます!
離間は何度か使っているのに、なかなかうまく扱えるようになりませんね。
会戦のできが悪かったのはプレイの間隔が空いたからという事情も……(?)
それにしてもまた夜襲です。貞久には少しは夜に警戒してもらいたいものです。
ただ、仮に尼子経久の攻撃を防ぎきったとしても、この後、尼子軍の後詰がどんどんやってきたので高田城を守り切るのは困難でした。くやしいですが、高田城の落城は必然だったのかもしれません。
奪われましたか~(;´д`)
このシナリオの尼子の強さがヒシヒシと伝わってきますね。
貞盛がちょっと調子乗っちゃったんでしょうね(笑)
いや~しかし。
戦法「狙い撃ち」の姫を武将にしなかったところに
戦略性を感じますね~。
私なら迷わず武将にしてたと思います(^_^;)
>なみたろうさん
コメントありがとうございます!
頑張ったのですがダメでした。。やはり貞盛のせいですかね。
お福さんを姫にしたことについては、実はぶっちゃけますけれど、強すぎたからなんです。
そこは戦略性にはあまり関係していません^_^;
でも会戦の結果を見ると、武将にしておけばよかったかなと少しだけ反省しています。。
「信長の野望嵐世記」にあったように家宝などをねぎれたらいいですよね~まあ値切り過ぎて嵐世記では良く怒られたけど。新宮党史実では後々殺されますけどね。
>戦国大好きさん
コメントありがとうございます!
この家宝、弱小勢力には厳しい価格設定です。ちょっと値切ったところで金358程度では買えそうもありません。津田宗及に怒られるだけかもしれません。
嵐世記はプレイしたのですが、だいぶ忘れてしまいました。家宝を値切る大名というのも、微笑ましいですね。。