【大崎文の野望】その7 雨垂れ、氷河を溶かす

1612年7月、大崎文は島津義久を御相伴衆に任じます。義久はこれを受諾しました。

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※これで島津家を形の上で大崎幕府に取り込む。

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※「御相伴衆に任じられるとは名誉なこと ありがたく拝命いたす」この後しばらくして義久は死亡し、島津家と御相伴衆は島津義弘が引き継ぐことになった。

同月、準備をととのえた大崎家は、反下間連合を結成しました。参加勢力は大崎家、最上家、島津家。関東の細川家は、大崎家が以前援軍を断った不義を考慮し、加盟を見送りました。

大崎家はこの連合結成により、大名間の結束を高めるとともに、下間家の滅亡をねらいます。

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※しばらくして細川家も連合に加入した。

 

反下間連合による下間家の攻略は着々と進められました。そんな中、備中を攻略中に四釜隆秀を捕らえます。四釜隆秀は大崎家に投降。じつに13年ぶりの復帰となりました。

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※解放されるたびに、少しずつ大崎文に心を開いてゆく四釜隆秀の様子

 

その後、1613年8月には吉田郡山城が落城。

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※吉田郡山城、攻め落としてみせたぞ

 

翌9月には、下間家は本州における勢力をうしない、四国に追いやられました。

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※島津家も北は山吹城、南は賀儀城まで攻め落とした。

 

下間家はその後も抵抗を続けますが、大崎家に対して抗うだけの力は残されていませんでした。

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※大森城下で合戦をする真田幸村。7倍以上の被害を敵に与える戦闘狂である。遠目に見る七本槍・脇坂安治も、さすがに少し引き気味。

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※その後大森城は落城。「大森城も、このゆきむらの攻めには耐えられまい!」

 

そして1614年10月、中村御所が落城。下間家の城は土佐・宿毛城を残すだけとなりました。宿毛城下では下間頼廉が意地を見せて大崎軍を待ち受けますが、大崎軍をひきいる南条隆信が合戦を制します。宿毛城は大崎軍の脅威にさらされて落城しました。

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※宿毛城は大崎軍による強行によって炎上

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※宿毛城、攻め落としたり! 勝ち鬨をあげよ!

 

領地を失った下間家は滅亡し、大崎家に敵対する勢力はなくなりました。

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※1614年10月、大崎文を盟主とする反下間連合は、標的としていた下間家をついに滅ぼした

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※ついに下間家を滅ぼしましたな

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※宴の支度ができております 皆で勝利を祝いましょう やんや、やんや

 

その後、大崎文は朝廷に内大臣を奏請。

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※麻呂様「金36000を工面してもらえぬか?」 右大臣以上の官位は、残念ながら奏請できない。

 

これをもって、大崎家は“惣無事令”を発令。諸大名は大崎幕府の名のもとに束ねられました。

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※政策・惣無事令を実行すると、戦乱の世は終焉を迎える

 

こうして大崎家が中心となった大崎幕府が天下を握ることとなりました。その後の世がいかなるものとなるのかは、大崎家当主・大崎文とその家臣の手腕にかかっています。

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※「古いしきたりは無用! 新たなる地を目指し、新たなる世を創るぞ!」 大崎文の野望は、単に日本の泰平を望むものではなかった。世界交易の流れに乗り、さらなる進歩を遂げるつもりらしい。

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※いまや大崎家には強大な力がある。海原への希望は広がり、新たな野望が始動する。

 


 

ゲームクリアとなったので、これで大乱成就_私と誰かの野望の『大崎文の野望』は終了です。大崎家のプレイ期間は28年。ここまで読んでいただいた方、いらっしゃいましたら、お疲れさまでした&ありがとうございました。

 

そのうちに感想を書くかもしれません。

 

 

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