【大崎義隆の野望】その9 栄光の先に

1596年6月、毛利家は豊臣家によって滅亡します。これで、西国で豊臣家に対抗できる勢力は九州を統一した島津家のみとなりました。

oosaki2_9_0
※この画像はその2ヶ月後、8月だが、豊臣家の兵力46万。当家の兵力は9万弱で、5倍ほどの開きがある。島津は兵力13万。四国の長宗我部家は虫の息。宇喜多家は豊臣家に従属している。

 

続きを読む

【大崎義隆の野望】その7 春日山に鬼が舞う

1595年11月、大崎家・越後攻略軍が越後に到着。侵攻をはじめます。しかし、越後には徳川軍も集結しつつありました。

大崎家臣・四釜隆秀は虫川で大会戦を開いて勝利。ひとまず、徳川軍を一掃します。

oosaki2_7_1
※数で押し切った。

続きを読む

【大崎義隆の野望】その6 越後を獲る

1595年4月、信濃・上野城が落城。大崎義隆は信濃の地に軍団を新設。伊達政宗が軍団長となりました。

oosaki2_6_0
※常陸からの国替である。飛び地の軍団なので、いざとなったら北条家に助けてもらうしかない。過酷な環境。

続きを読む

【大崎義隆の野望】その5 攻略の糸口

1594年7月。連合の結成直後に、大崎義隆は上杉家当主・上杉景勝から栃尾城の救援を要請されます。栃尾城は徳川家に攻められ、危うい状況となっていました。

大崎義隆はこれを受けて、岩代・黒川城から遠藤盛胤、兵2500の救援を出します。

oosaki2_5_1
※大崎家は米がなく極貧だが、一応盟主なので要請は受けなければなるまい。そういう見栄というか誇りみたいなものは一人前なのである。

続きを読む