【大崎義隆の野望】その19 大崎義隆の野望 5件の返信 1603年9月、伊達政宗は信濃の戦において、四釜隆秀を捕らえます。義隆は大崎家への復帰を期待しましたが、隆秀にその意思はありませんでした。義隆はしかたなく、隆秀を解放します。 ※「その名は覚えておく」なんとも他人行儀な隆秀。孤立した北陸を任せたからか、よほど大崎に不満があったようだ。 続きを読む →
【大崎義隆の野望】その18 虎狩り 1603年5月、後瀬山城の戦いが始まりました。大崎家は同時に長浜城にも侵攻。豊臣家の目もそちらに向いていて、ここを破れば豊臣軍の後続はおそらくありません。 この戦いは、大崎家の北陸統一をかけた重要な会戦です。 続きを読む →
【大崎義隆の野望】その17 再動 戦の中で経験を積んだ伊達政宗は「独眼竜」を修得。 ※「この力で、天下に覇を唱えるのだ!」野心がにじみ出る政宗の一言。というか、今まで独眼竜じゃなかったのか。 続きを読む →
【大崎義隆の野望】その16 反豊臣連合 北陸でひと騒動あった裏で、大崎家は政策『遠交近攻』を採用して九州の覇者・島津家に接近します。これは反豊臣連合の結成を意識したものでした。 ※島津家への使者には津軽為信が担当。互いにお国言葉が激しそうなので、意思疎通ができるのかはすこし心配である。 続きを読む →