三浦軍VS毛利軍。備中松山城付近での大合戦。合戦の地は岡山になりました。
岡山の戦い
- 三浦軍(総大将:三浦貞広)兵数45400
- 毛利軍(総大将:清水宗治)兵数38604
1577年4月、三浦貞広は能登守を称することになりました。
この月、大友宗麟の命をうけた立花道雪が三浦領・十河城へと侵攻。高橋紹運とともに兵をすすめます。四国での生き残りをかけて、守りを捨てて讃岐の覇権を奪いにかかってきたのです。
1575年5月。
三浦貞広は浦上、宇喜多との戦いに勝利。三浦家は美作高田城からはじまり、備中、備前にまで勢力を広げた。
次に狙うのは中国地方の覇者・毛利家。戦国時代終盤において、出遅れた三浦家の力は果たしてこの強豪国に通用するのだろうか。
諸行無常、万物流転。滅せぬもののあるべきか。