洲本城を攻略した茂辰は、伊予・西土佐に対毛利・島津を目的とした新たな軍団を新設。いざ争いとなれば激しい戦闘が予想されるため、軍団長には猛将・村上武吉が就任しました。
【本山茂辰の野望】その3 慢心の代償
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【本山茂辰の野望】その2 光の使者
【本山茂辰の野望】その1 茂辰、土佐守を自称す
【本山茂辰の野望】プロローグ
1557年5月、四国は本山家によって統一された。
---その二ヶ月後、本山茂宗は嫡男、茂辰に家督を譲ることを決断。本山家中では一門衆に迎え入れた長宗我部元親及びその一族が勢力を強めつつあったため、自らの死後に混乱が起きないようにとの措置であった。