【本山茂辰の野望】その4 播磨動乱

洲本城を攻略した茂辰は、伊予・西土佐に対毛利・島津を目的とした新たな軍団を新設。いざ争いとなれば激しい戦闘が予想されるため、軍団長には猛将・村上武吉が就任しました。

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※村上武吉には軍団長としての経験を積んでもらいたい。

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【本山茂辰の野望】その3 慢心の代償

洲本城に残った大西頼武は、十河、荒木隊が不戦を決め込むのを見届け、僅かな守備兵を率いて城下に出陣してきました。本山・洲本城攻略軍は難なくこれを蹴散らすと、洲本城を包囲、強行します。

強行を開始するまさにその時、三好方の援軍、下間頼廉が洲本城に到着し、海から攻略軍への攻撃を開始しました。

motoyama2_2_10※海坊主かと思ったら頼廉だった。なんとその頼廉、兵力6000くらいと思っていたが実際は8200。 誤差ってレベルじゃありません。これには兵も苦笑い。

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【本山茂辰の野望】その2 光の使者

1557年11月、本山家では三好領・洲本城へいよいよ出兵という段階になりました。そこで鈴木家へ洲本攻略の援軍を要請しようと様子を見たところ驚愕。なんと鈴木家は三好家と手を組んでいたのです。

鈴木家の外交状況※鈴木家は本山家の影響力の強さを警戒し敵視していた。それを放置していたのだから、当然といえば当然の対応である。

重要な場面で三好長慶に先手を打たれました。

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【本山茂辰の野望】その1 茂辰、土佐守を自称す

1557年7月、四国一帯を支配する本山茂辰は第一の方針として畿内の制圧に注力することとしました。しかし、そのためにはまず淡路島にある洲本城を攻略して、畿内攻略の拠点にする必要があります。

その洲本城の城主を確認してみると、なんとあの荒木村重でした。

洲本城を守る村重※過去に何度も本山との不戦に応じている逆臣である。こんな重要な拠点に村重を配置するとは、三好長慶も人がいいというか、懲りないらしい。

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【本山茂辰の野望】プロローグ

1557年5月、四国は本山家によって統一された。

---その二ヶ月後、本山茂宗は嫡男、茂辰に家督を譲ることを決断。本山家中では一門衆に迎え入れた長宗我部元親及びその一族が勢力を強めつつあったため、自らの死後に混乱が起きないようにとの措置であった。

本山茂宗の隠居

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